松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

どんな仕事も、突き詰めればアートになる

4月30日(木)の昼休み、教職の学生の自主勉強会ミーティングに混ぜてもらいました。
その際、1年次生を中心に「みんなの前に立って1分程度で雑学を披露する」というトレーニングをしていたのですが、代表の学生が「せっかくなんで松宮さんもどうぞ」と振ってくれました。
そのとき学生にした話を忘れぬようにまとめておきます。
こんなにスラスラ話してませんけどね。

1.はじめに

 教務の松宮です。こんにちは。実はこの4月から広島大学の大学院に通っています。毎週末新幹線で移動していて、非常に疲れています。そんな中でも、できるだけみなさんにできることは何かなといつも考えてます。そういう疲れてるときにどうやってモチベーションを上げているのか。ぼくはスポーツが好きなので、一流のスポーツ選手のことを想像しながら、イメージトレーニングをしています。

2.一流のスポーツ選手の引退

 つい先日、テレビ番組で野球の大御所である張本さんが、キングカズことサッカー選手の三浦知良選手に対して、「もうおやめなさい。後進に道を譲りなさい」と言ったことが話題になりました。ここで面白いのは、一流の選手というのは、自分で引退を選べるんだということです。35歳前後になってくると、どんな選手でも引退がテーマになります。でも、一流未満の選手は、自分で引退なんか選べません。成績が下降して、チームから「いらない」と言われてクビになる、これが普通ですよね。普通というより、ほとんどの選手はそうです。つまり、「いつ引退するんですか?」ということが話題になることそれ自体が、その選手が一流である証のひとつになるんですね。

3.イチローは、どうなったら引退するのか?

 4~5年前に、ユーチューブでイチローのインタビュー動画を見ていて、衝撃を受けたことがありました。そのときイチローも30代後半になっていましたから、やはり「いつ引退するんですか?」ということが話題になっていたのです。「いつ引退するんですか?」。正確には、「イチローさんは、どういう状態になったら引退するんですか?」という質問をインタビュアーから受けていた記憶があります。イチローは、どうなったら引退するのか。なんて答えたと思いますか?
 イチローは、こう答えたんです。「太ったら引退します」。そう、イチローは「成績が下降したら」とか、「自分のイメージに体が追い付かなくなったら」とか、そういう一般にスポーツ選手の挙げる理由ではなくて、「太ったら」引退すると言ったのです。そして、その理由として「そんな自分が許せないから」と言いました。ここで伝えたいのは、「太っていたらダメ」ということではないです。ただ、野球というスポーツは、ある程度太っていてもできるんですよね。不摂生をして体型が崩れても、一応プレーできる。そういう選手もいますよね。ところがイチローは、「そうはなりたくないんだ。そうなってもプレーする自分が許せないんだ」と言うわけです。「成績が下降したら」とか、「自分のイメージに体が追い付かなくなったら」ではなく「太ったら」引退する。これ、どういうことなんでしょう。それは、イケてるかイケてないか、かっこいいかかっこよくないか、そういうことが引退の基準になっているということじゃないでしょうか。自分なりの感覚、美学や美意識、ナルシシズムといってもいいかもしれません。そういうことが、自分の選手としての将来を規定するんだと考えている。
 つまり、イチローにとって野球はもはやスポーツではないということです。イチローにとって、野球は芸術なんです。アートなんです。「どうありたいか」を表現する手段であり、それはすなわち芸術です。スポーツではありません。

4.どんな仕事も、突き詰めればアートになる

 ぼくはこの動画を見て、「スポーツも、突き詰めればアートになるんだな」と思いました。そして、どんな仕事もそうなんじゃないかって感じました。どんな仕事も、突き詰めればアートになる。一流になれば、最初のカテゴリから昇華されて、芸術になる。イチローにとっての野球は、もちろん最初はただの野球に過ぎなかったと思います。でも、努力に努力を重ねるうち、少しずつ、スポーツとしての野球から、自分の美学を表現する芸術に昇華されていったということなんじゃないでしょうか。そして、それはやっぱり誰よりも努力を重ねた結果見えてくるものなんじゃないでしょうか。
 みなさんのなりたい学校の先生という仕事。みなさんは、これから一生懸命勉強したり、こんな風に勉強会で高め合ったりして、少しずつ学校の教員に近づいていくことと思います。しかし、さらにもう一段レベルアップして一流の仕事をしたいのならば、もしかしたら、いつか先生というカテゴリから外れる必要があるのかもしれません。努力に努力を重ねていたら、次第に自分なりの美学を仕事の中でどう表現するのかを追求する段階が、いつかやってくるのかもしれません。逆説的ですが、みなさんが先生というカテゴリから外れたとき、初めて一流の先生になれる。そんな気がします。
 一流の仕事とは何か。みなさんはどう思いますか?