松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

仕事で最近嬉しかったこと―とある卒業生の母校(高校)の先生が、わざわざ挨拶に来てくださいました―

嬉しかった出来事

先日、昨年の3月に卒業した学生の母校(高校)の先生が、わざわざ挨拶に来てくださるという出来事がありました。
「●●(その卒業生の名前)が、松宮さんにお世話になったと申しておりましたので」
なんて言われてしまって、お土産までいただいてしまって、ひたすらたまげました。
卒業生が訪ねてきてくれることは時々あって、それはそれでとても嬉しいことなのですが、さすがに卒業生の母校(高校)の先生が来て下さったのは初めてです。
しかも遠いところからお越しでした。
非常にありがたいと同時になんだか恐縮してしまいました。突然の出来事に、大人としてあまり上手にお話できなかった気さえします。
その卒業生とは共通の体験を経て、交流を深めたという経緯がありました。でもその経験は当然在学中のもので、もう2年10カ月も前のことです。
この仕事は、このように「突然、時間差で、お金以外の」報酬をもらえる仕事なのだなあと実感しました。

学生との真の関係性がわかるとき

少し前から思っていたことですが、学生との真の関係性が判明するのは、卒業後ではないでしょうか。
在学中は、なんだかんだいってもお互い利害関係がありますし。
卒業して、ようやくフラット。そのとき、在学中の関係が本当はどうだったのか、明るみに出る気がします。
卒業後、自分を訪ねて来てくれるようなら、それは成功だなと。
自分のことを振り返ってみればわかりますが、大学卒業後に教職員を訪ねていきたいとしたら、それは基本的には指導教員ですよ。過ごしている時間も内容も、絶対に指導教員の方が濃いはずです。
わざわざ事務職員を訪ねるというのは、やっぱりそれなりに価値があることだ、と自画自賛したいと思います。
(そもそも、誰かにお世話になってたとしても、わざわざ足を運ぶのって面倒ですよね)

バトンは受け継がれている

お越しになった先生は、その学生が所属していた部活動の顧問をされていたようで、「ご迷惑をかけたんじゃないでしょうか」等々言っておられました。
でも、私にはそんなイメージは全くなくて、(見た目とは裏腹)に生真面目で繊細で、心根の優しいところがあること、そういう印象を持つような出来事があったことをお伝えしました。
「へえ、そうだったんですか。そんなことをやるんですかあいつは」みたいな話になって、私は私で「へえ、その部活をやってたのは知ってたけど、キャプテンだったとは知らなかったです」みたいな反応を返して、互いに同じ人間の話をしながら、互いに新しいことを知るという不思議な空間が作られました。
思ったのは、自分は学生本人や保護者のことは意識してますが、学校の先生の存在は気持ちに外にあったなあということです。
大学も結局は、教育システムの中の一つなわけで、小学校、中学校、高校と、多くの先生方が愛着をもってその先に送り出している。そのことをもう少し自覚する必要があるなと感じました。
最後のバトンは自分が受け取っているという志をもう少し大事にして、これまで関わってこられた初等中等教育段階の先生方のことも想像しつつ、仕事をしていきたいと思います。