松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

教職課程のやりがい

大学で教職課程を担当するやりがいは、人によって色々あると思います。
私の場合は、「大学で働きながら初等中等教育に関われること」です。
大学で教員養成に携わるということは、初等中等段階の教員を養成するということであり、結果として初等中等教育の向上に間接的に関われるということだからです。
私も高等学校の教員免許をもっていて、「学校の先生になりたいなあ」と思っていた時期もあるので、このように違う形で初等中等教育に関われるということが、すごくありがたいし嬉しいです。

先日拝読したこちらの阿部先生の著書で、太田克史さん(講談社星海社)が自身の学生時代を振り返って次のように仰っています。

僕は出身が早稲田大学教育学部だし、先生になってみたいって思いは真剣にあったんですけど。ただ、ふと考えたときに、先生になってクラスで担任する生徒って大体30~40人じゃないですか。となると、定年までを30数年として、僕が先生になったとして一生で深く関わる人って、マックスで30数年×40人なんだな、という思いが込み上げてきて。約1300人ですよね。一生かかってそれくらいかと思ったら、これは、結構しんどいものがあると思ったんですよね。(中略)いやいや、少なすぎると思ったんです。松下村塾吉田松陰は、30人くらいの教え子を通じて日本を革命する力を作ったんですけど、でも、僕レベルの場合ではどう考えても、人生をかけて何かを伝えていきたいのなら、その募集団の数をもっとふやした方がいいと思ったんですよ。一生かかって、1300人は少なすぎる、と。

この太田さんの発想はとても面白いと思いました。
この言葉を受けて自分の仕事を振り返ってみると、私の仕事は一生かけて1300人を育てる仕事の、川上にあるんですよね。
したがって、深くは関われないかもしれないけど、間接的に関われる人がそれだけ多い。
仮に毎年20人の先生を育てたとして、このまま一生かけて教職の仕事をすると、

1300×20人×35年=910,000人(!)

という、なかなかの数の人に関わることができます。これはありがたいし面白い仕事です。

教職課程の申請の仕事でご一緒した文科省の担当官が、その方の異動されるタイミングで、「あなたの仕事の先にはたくさんの生徒児童がいるということを忘れないでください」という言葉をもらったことがあります。
この言葉を大切に、日々精進して少しでもよい先生を育てようと思います。