松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

センター試験の思い出

先週の土日は、センター試験でしたね。
受験生のみなさま、関係者のみなさま、おつかれさまでした。
私は、日曜日はセンター対応の出勤、土曜日は授業対応の出勤でした。

自分がセンター試験を受けたのは、ちょうど10年前です。
場所は、龍谷大学深草キャンパスでした(龍谷大学のみなさま、その節はお世話になりました)。
10年前のセンター試験は、国公立を受験するために5教科7科目の受験が必須になった初めての年でした。
記憶が曖昧ですが、それまでは5教科6科目だったかと思います。どういうことかというと、文系(この言葉は嫌いですが)で考えると、次のような状態です。

(5教科7科目受験の一例:私の場合)
国語
数ⅠA
数ⅡB
英語
世界史B
倫理
生物

まあ、科目名称はもうちょっと細かかったかもしれませんが、文系は社会を2科目、理系は理科を2科目、必ず受けなければならなかった、ということです。
この変更は、高校に入学した段階からずっと言われていました。
イヤでしたね。先輩がうらやましかった。少し考えてみればわかるのですが、地歴をやらずに公民だけでOKというのは、実に楽です。良くはないと思いますが。

そんなこんなで試験を受けたのですが、記憶に残っているのは会場の人いきれ、その集団の持つ熱気です。会場が素晴らしくて、暖房をきかせてくれていたのもあったと思うのですが、熱気がすごくて、まるで夢の中にいるような非現実的な感覚がありました。やっぱり、みんな人生をかけてきているようなところがあったのでしょう。
得点は7割を少し超えるくらいだったと思います。
学校からは8割を至上命題にされていたので、出来としては散々だったわけですが、よく考えたら全統や駿台のセンター模試で8割なんて1回も超えたことがないので、結局実力通りだったわけです。
練習で1回もできたことがないことが、もしかしたら本番ではできるかもしれないと思っているあの勘違い、なんなんでしょうね。現役は最後の1か月で伸びるとか言ってくる先生にも問題があったと思います。伸びないですよ。その言葉は正確じゃない。一生懸命継続して長いこと頑張ってきたやつだけがご褒美的に伸びを見せるんであって、ちゃらんぽらんずっとしてきたやつが、本番だからといっていきなりできるようになるはずもない。
練習でできないことが試合でできるはずもありませんね。8割を超えたのは国語・英語・倫理くらいで、数ⅡBにいたっては30点くらいだったと思います。
今でも思うのは、センター試験で高得点とるのって、たぶん本当にそのことだけを目的に勉強したら、一定レベルまではそんなに難しくないだろうな、ということです。
そりゃあ9割超えとか、満点狙うとかは難しいかもしれないですけど。効率よく、無駄なことをせず、マーク式の試験で得点をとる方法だけをやれば、多分一定レベルは誰でもとれます。
じゃあ、いま高校時代に戻って、そういうことだけをする高校生活を送り、再度センター試験を受けなおしたいか、といったら、そんな風には感じないです。
無駄なこともした、勉強も言われたことすらやらず、かといって遊びまくったわけでもない、一体あの生活はなんだったのだろうかと思わないでもないですが、自分には必要な時間でした。
中途半端なことをするんだったら、勉強をやりまくるとか、そうでなくて遊びまくるとか、どっちかの方がよかったんじゃないかな、と思っていた時期もありましたが、人間はそう器用に生きられるわけではありません。

受験生は、土日は非常に熱の入った時間を過ごし、自己採点してその結果に一喜一憂したりしているかもしれませんね。
でも、10年たてば「そんなこともあったなあ」という程度で、良くも悪くも小さなことになります。
むしろ、そういう時間の中で友達や先生と交わした言葉、そしてそういう人たちと今も交流がある、記憶の積み重ねと今に続く人との繋がり、そうしたことの方がずっと大事です。
今でも色々と、覚えていることがあります。

高校にお金を出してもらってセンター利用入試をたくさん出していたので、申し訳なくて「あまり点がとれなくてすみませんでした」と伝えたら、進路指導の先生に「それはいいんだ。ぼくは君が点をとれなかったことが悲しいだけだから」と言われて、元々は実績作りのためじゃないか本当かよこの嘘つき、と心のどこかで思ったこと、
結果として経営学部とか、そういう全然興味のない学部の合格通知をもらって微妙な気持ちになったこと、「センター試験で得点がとりにくいから」という理由でカリキュラムに組み込まれておらず、大好きだった日本史を1回も学べなかったこと、だから2次的に、仕方なく日本文学をやりたいと思っていたこと
センター試験の前に、国語の先生がぼくらのクラスのために必勝鉛筆を、多分自腹で作って配ってくれたこと、その先生と先日高校サッカー選手権の応援に乗じて久しぶりに会えたこと、
センター試験当日、なぜか『理科総合』っていう謎の科目を空き時間に受けたやつがいて、「やばいわ、めっちゃ簡単やったわ、高校受験の理科みたいやったわ」とか言ってて、「しまった!そんな裏ワザがあったのか!」と思い、何事も主体的に決めたり、やれることは全てやったりすることが大事なんだなあと思ったこと、
センター試験が終わったその日に予備校のパンフレットを回収して去っていったやつがいたこと、でも結局大阪大学に受かったので入学して、でも留年したりとかして色々うまくいかなくて人生色々だなと思ったこと、そして彼のセンター利用入試で高校が実績を荒稼ぎして「国公立30、関関同立100!」とか言ってて、多分関関同立の合格実績のうち7割ぐらいはそいつやろな、ヤクザな高校や、と思ってたら、数年後にそうしたことが全国的に問題として報道されたこと、
センター試験が終わったあと、高校には行かなくてよかったが、高校生活が終わるのが寂しかったので、2次試験の勉強を口実に毎日友達と登校したこと、でも勉強はしてなくて進路指導室のパソコンで下品なウェブサイトを見ながら笑ってたら近くで勉強してた女子にマジギレされたこと、その怒った女子と、ぼくといっしょに下品なサイト見てた友達とがなんだかんだあって去年結婚して、彼らと今でもよく遊んでいること、
国公立の合格発表よりも私学の入学手続きが先にあったので、入学金30万円を親に捨ててもらったこと(私学関係者のみなさん、いい加減これやめませんか?自主的に)、
大学で学ぶということのイメージがつかなくて不安でいっぱいの春休みを過ごし、結局うまくなじめないまま大学生活がスタートしてしまったこと、
制服から私服になるので、急にファッションセンスを問われるようになって戸惑ったこと、でも中にはセンスのいい友人もいて、こういうのはみんなどこで勉強しているのだろうと思ったこと、

そういう無数の細かい記憶の断片のほうが、あとになって思い出として残っています。
高い得点をとれた人は素晴らしい。でも点がとれなかったからといって、落ち込むことはない。どちらにしろ10年たてば、良くも悪くも、大したことではなくなる。
出てきた結果をその都度適当に受け止めて、ちょっとずつ色んなことをやっていれば、そのうちいい感じにおさまってきますよ。
人生は大体プラスマイナス0になってて、結局は神様が帳尻を合わせてくる。いいことがあって喜んだり調子に乗ったりしていると、また悪いことが起きる。もうだめだと思ってたら、なぜか偶然良いことがおきる。その繰り返しで、最終的にプラマイゼロになる。大して長く生きてませんが、そんな気がするなあ。