松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

日本の正社員制度は、身分制度である―竹中平蔵氏に賛成する―

竹中平蔵氏の元旦「朝まで生テレビ」での発言が話題になっています。
竹中平蔵氏の「正社員をなくせばいい」発言に賛否

慶応大学教授で、安倍政権では日本経済再生本部の「産業競争力会議」の民間メンバーを務める竹中平蔵氏が1月1日、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演した際に「正社員をなくせばいい」と発言したことが話題になっている。
この日の番組では、雇用や賃金に関する議論が行われ、正社員と非正規社員とでの処遇が異なることに話題が及んだ。
竹中氏は正規社員が法律によって過剰に保護されていると指摘。非正規社員が増えているのは、1979年の最高裁判例で整理解雇の四要件が示されたことが原因で、企業側が労働者を解雇した際の訴訟リスクを恐れて正社員を雇えなくなっているとした。一方で、訴訟リスクが低いと考える中小企業では、正規社員であっても簡単に解雇する現状があると述べた。
さらに竹中氏は、同じ仕事をするのならば、非正規社員であっても正社員と同じ賃金や待遇を得られる「同一労働・同一賃金」の制度が必要だとして、そのためには正規の社員と非正規社員の垣根をなくす必要があり「(同一労働・同一賃金の実現を目指すなら)正社員をなくしましょうって、やっぱりね、言わなきゃいけない」と発言した。

竹中平蔵氏に賛成する

私はこの立場に賛成です。
竹中氏は以前から同じ趣旨のことを仰っていると思いますが、この論説に反対する人は、どうも「正社員をなくしましょう」という言葉を「現状の非正社員と同じ待遇にしてしまいましょう」という風に誤って解釈してしまっているのではないでしょうか。
彼の主張は、現状の労働市場は公平性が著しく損なわれているので、より公平性を担保する形に変えていきましょうというところに趣旨があり、既存のシステムを変えていくことを目的にしています。
翻って、彼の主張に反対する人は、既存のシステムを前提としてこの言説を受け取っているのだろうと思います。
「正社員をなくしましょう」は、たしかに誤解のされやすい刺激的すぎる表現でした。たとえ「非正社員をなくしましょう」と言ってしまっても同じことだったのですが、それでは連合の主張と言葉の上では同一になってしまうので、あえてその逆の刺激的な表現を選んだのでしょう。
竹中氏の言いたかったことは「正社員・非正社員の区別をなくして、生み出した仕事の成果に応じて報酬を払うようにしましょう」ということであり、何も間違っていないと思います。
既存のシステムは労働者にとってフェアじゃないから、よりフェアな環境にしていきましょうよ、ということです。

今の日本の正社員制度は、身分制度である

今の日本の正社員制度は、明らかに身分制度であり、既得権益の一つです。私自身が正社員だからよくわかります。
既存のルールにぴったり適合するならば、正社員というのは最強です。私の場合も、ただ正社員であるというだけで毎年自動的に給料が上がりますし、自分から言い出さない限り、あるいは社会的にマズいことをしない限りクビになることは絶対にありません。
そんな正社員である私にとって一番有効な行動は、クビにならない程度に働かない、ということです。頑張りすぎたらダメです。頑張りすぎて心身を壊してしまうと、休職することになって、そのまま復帰できないことになってしまうと退職しなければなりません。だから、余計な新しいことをするのもダメです。そんなことをやっても自分を追いつめてしんどくなるだけですから。そこまで頑張らなくても、正社員という身分は保障されているのです。言われたことをただやって、仕事はお金を稼ぐ手段と割り切って、平穏にやっていくのが一番です。
さて、ではこんな正社員に比べて、非正社員はどうでしょうか。
報酬は低いです。身分も、任期に定めがあったり、派遣であったりして不安定です。中には、正社員以上の実力を発揮している人もいます。でも、待遇は低いままで、絶対に上げられません。さらに一度非正社員として働いてしまと、「正社員歴がない」という職歴がついてしまって、責任ある仕事をしていないのではないかとみなされ、なかなか正社員になれなくなります。
このように、身分が固定されてしまい、簡単に移動できない。一方では楽をしながら高い報酬をもらっている人がいる。非常に頑張っているのに、非正社員であるというだけで、待遇があがらない人がいる。この状態は、厳しく言えば正社員・非正社員というマイルドな言葉でごまかされたカースト制度です。

現状を維持すれば、誰が得をするのか

こういう新しいことを検討するときに視野に入れると分かりやすくなるのは、既存のシステムを維持すると得をする人がいる、それは誰だろうかということです。
ズバり言うとそれは、自分の実力以上に報酬を受け取っている人です。自分の実力以上に、たとえば正社員という身分や年齢によって高い報酬を受け取っている場合、「生み出した仕事の成果に応じて報酬を払うようにしましょう」というようなことを言われると大変都合が悪いです。クビにならない程度に働かない、でもそれなりの報酬をもらえる、という状態だからこそ正社員はウマいのです。もしも生み出す価値に応じて報酬を払う、というようなフェアな労働市場が整備されてしまったら、今よりも確実に報酬が下がってしまいます。せっかく楽にそれなりの待遇を得ていたのに、待遇を上げるために努力しなければならなくなるではありませんか。

想定される反論

私は以前から、自身の職場の任期の定めのある職員を引き合いに出して、「実は全員が任期付の身分になった方がいい」ということを主張しています。併せて「その変革はうちの職場だけでは無理で、社会全体のうねりの中で初めて可能になる」とも。
このように、身分ではなく生み出した価値に応じて報酬を支払うべきだということを主張していると、多くの場合次の2点の反論にあいます。
非正社員は、そのことが分かったうえで入社しているはずだ。だから公平性は保たれている
②任期があると、長期的な視野に立ってじっくり腰を据えて働くことが難しくなる
1点目に対する反論ですが、指摘の内容はたしかにそのとおりです。たしかに非正社員は、正社員との身分格差を一定理解した上で入社しているでしょう。しかしながら、ここで議論しているのは、既存のルールに適合しているかどうかではなく、既存のルールそのものが間違っているのではないかという、そもそも前提がおかしいという問題提起なので、「既存のルールではそうなっている!」という批判はピントがズレています。2点目に対する反論ですが、任期があるとたしかにじっくり腰を据えた仕事は難しいかもしれません。しかしながら、仮に全員に任期があるとそうはなりません。任期があるのがふつうのことになるからです。そうした多様な雇用契約が可能になれば、じっくり腰を据えることが必要な、長期の任期が必要な仕事については、相応の契約期間が労働市場の中で自然に与えられることになるでしょう。


以上のように、私は竹中氏の主張に全面的に賛成しています。そして、この労働市場改革が進まないと、日本という国そのものが大変危ういのではないかと思っていて、自身の報酬が年俸制任期制に切り替わるという想定のもと既に働いています。今の時点で、そういうルール変更が起こったものと想像して働いている、ということです。
前述したように、既存のルールにぴったり適合するならば、正社員である私にとって一番有効な行動は、クビにならない程度に働かない、ということです。
でも、世の中のルールは自分の思いとは関係なく急変します。そしてその変更がいいものであるならば、私はそれが早くくることを望みますし、今からその状態を先取りしておきたいと考えています。
したがって、自分の報酬は労働市場において本当に適性なのか、常に疑問を持って働いています。自分の実力以上に報酬をもらって勘違いしてしまうことほど、恐ろしいことはありませんので。
私は正社員ですが、明日にでもこの既得権益を返上する準備はできています。
なお、本稿では正社員の待遇を既得権益と形容して批判的に書きましたが、正社員だって本当はしんどいです。正社員は一度雇うと簡単にはクビにできないので、たくさん採用してしまうと組織には大きなリスクになります。すると、少数精鋭で回していくことになって、少数の正社員にどんどん仕事が集中して、疲弊してしまいます。
だから、この労働市場改革というのは、今の正社員にとっても大変に有益なのです。実力以上にお金をもらって、かつハードワークもしていない人を除けば。
その人の環境や状況に応じた働き方を選択していくこと、そういう多様性を確保するためにも、既存の正社員・非正社員という二項対立のカースト制度は足かせとみなし、外さねばなりません。
現代社会でこのようなカースト制度が長期間保たれると、そのひずみは解決に時間がかかった分だけ、大きな形で露呈してしまいます。身分や年齢に関係なく、生み出す価値に応じて報酬が支払われるフェアな労働市場が早く整備されることを、ひとりの国民として強く望みます。