松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

【解説】サルでもわかる中教審答申(2)『​新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)』

昨日は、22日に出た答申のうちの一つについてのラフ解説を掲載しました。
【解説】サルでもわかる中教審答申(1)『​子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた​柔軟かつ効果的な教育システムの構築につい​て(答申)』 - 松宮慎治の憂鬱
今日はもう一つの方をとりあげます。こちらです。
新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号):文部科学省

答申の名前

新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について~すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために~

示されている提言

主には三つです。
①学習指導要領を抜本的に見直す
②大学では、カリキュラム・マネジメントを確立する
③入試では、思考力・判断力・表現力を中心に評価する新テスト導入
それにしても、副題がすごいですね……。
導入部分では、高大接続が教育改革における最大の課題であること、そしてこの改革が「待ったなし」であることを強調しています。「高大接続が教育改革における最大の課題である」ってところ、そうでしたっけ?という気になりました。
また、「高大接続」の改革は、「大学入試」のみの改革ではない、ということも書いてあります。多くの場合、新テストの導入だけがピックアップされるでしょうから、この前提は結構大事かもしれません。
あとは、全体としていわゆるアクティブ・ラーニング(能動的学修、主体的学修)が強調されています。その真逆のものとして、知識伝達型という言葉を使い、やや批判的に論じています。大学関係者でこの2つの言葉を知らない人はいないと思いますが、知識伝達型が完全悪であり、まるでアクティブ・ラーニングが万能薬であるかのように言葉として使われていて、そのあたりは公平性の観点から少し不安になります。
ともかく、要点を順番に解説していきますね。

①学習指導要領を抜本的に見直す

学習指導要領とは、言わずもがな学校の先生が子どもたちの指導にあたるときに、教えるべき事項を定めたものです。高校の学習指導要領について、「何を教えるか」ではなく「どのような力を身に付けるか」という発想から抜本的に見直します、というのが答申の基本的な考え方です。このとき、OECDのキー・コンピテンシー等を参考にすると書いてあります。特に注目すべきは、「英語において四技能を系統的に育成する」と、特定の言語能力の養成が明示されていることです。それから、総合的な学習の時間を「大学の卒業論文のよう」に充実させる、と書いてあります。

②大学では、カリキュラム・マネジメントを確立させる

ここでは主に何が書いてあるかというと、アドミッション・ポリシーに基づく個別選抜、大学教育の質的転換の『断行』、この2つです。前者ですが、要するにどういう学生が欲しいのか、そのビジョンを確立させ、多面的な方法で学生を獲得することを検討しなさい、ということです。たとえば、小論、面接、集団討論、プレゼン、調査書、活動報告書、等ですね。既存のAO入試や推薦入試とどう違うんですか?という疑問がわきますが、これについては「AO・推薦入試が本来の趣旨・目的に沿ったものとなっていない」とバッサリいかれています。後者ですが、『断行』という言葉からわかるように、大学の改革がなかなか進まない、というちょっとした怒り、苛立ちが読み取れます。大学教育を従来の知識伝達型からアクティブ・ラーニングに転換し、アドミッション・カリキュラム・ディプロマの三つのポリシーの策定を法令上位置づけるべきだ、と書いてあります。実は後ろの二つのポリシーはなぜか日本語で書いていて、アドミッション・ポリシーだけがカタカナになっています。入学者選抜を話題の中心とする答申なので、そこを強調する意図があるのかもしれません。あとは、ナンバリングの導入、というのが具体的に提言されていますね。ナンバリングというのは、要するに科目の体系性を明示するものですから、狭義のカリキュラム・マネジメントと言えるでしょう。

③入試では、思考力・判断力・表現力を中心に評価する新テスト導入

いよいよ新テストです。①も②もこの新テストを前提に文章が書かれているので、この答申の肝はこの新テストであるとはっきり言えます。新テストは、どのようなテストなのでしょうか。ちょっとわかりにくいんですが、答申からは、次のようなことが読み取れます。
まず、実施の主体は大学入試センターです。実施されるテストは2つ。どっちも仮称ですが、「高等学校基礎学力テスト」と「大学入学希望者学力評価テスト」です。やや乱暴な説明になりますが、前者が高校生みんなを対象とする基礎テスト、後者が大学入学を希望する高校生を対象とする発展テストです。いずれも複数回実施されることが前提となっていますので、一発勝負の今のセンター試験とは全く趣が異なります。問題ですが、従来の教科型に加えて、「合教科・科目型」「総合型」の問題を組み合わせるとしています。どっちも選択だけでなく記述式による回答を導入するということです。実施方法はCBTを原則とし、「特に英語は四技能を総合的に評価できる問題を出題する」と、ここでも英語が特別なテーマとして取り上げられています。大学はこのテストと、アドミッション・ポリシーに基づく個別選抜で大学入試を実施しなさい、ということです。


ものすごく乱暴に、多分色々なことを捨象してしまって解説すると、以上のような内容です。
見逃しや決定的な勘違い、不足などがありましたら、ご指摘ください。
多分私の確認不足なのですが、肝心のスケジュールが見つけられませんでした。

個人の感想としては、「なんか悪いこと言ってるかな?」というのが率直な気持ちです。色々な問題はあるでしょうが、要はやりようじゃないでしょうか。
このような答申が出ると、文科省に批判が集まりますが、個人的には悪いことは言ってないと思いますし、答申の文章そのものも、思いの込められたいいものだな、という印象です。それに、政策を決定しているのは、文科省の官僚ではありませんしね。少なくとも形式的には。
ありうる批判としては「1点刻みのテストこそが、公平性を確保するのだ。定性的な評価と組み合わせると、社会の階層が固定されてしまう」「調査書や討論で入学させたら、口先三寸の子どもが有利になる。目立たなくても頑張れる子どもにも光をあてるべきだ」みたいなものが、典型的には挙げられます(細かい表現は別として、大体このようなものかと)。
このような批判は、部分的には正しいと思います。でも、何をどう組み合わせるのかは、それぞれの大学に任されるのであって、頑なにペーパーテストのみを実施する大学があったり、逆に口下手で不器用だけど真面目な子どもばかり入学させたり、そういう個別の方針を大学が持てばいいだけのことではないでしょうか(言ってしまえばそれはアドミッション・ポリシーなのですが)。
また、新テストについても、大学入試センターにはテスト理論の専門家がたくさんいらっしゃると思うので、どういうテストがよいのかということについては、素人にはわからないレベルで高度な議論がなされると思いますので、個人的には逆に期待しかありません。

ただし、これが非常に大きな変革であることは間違いないでしょう。
はっきりしていることは、大学だけでなく、教育関係者全員の力量が問われることになるだろうということです。大学のことに限って見ても、既存の戦力ではほぼ不可能だろうと思われる内容が含まれています。だから、この制度がよくなるかは悪くなるかは、1人ひとりの双肩にかかっていますし、特に大学職員には一層の研鑽が求められます。でないと、教育研究以外の負担がどんどん教員にかかっていくことになります。それでは本当に立ち行かなくなります。
いずれにせよ、このように大きな変化の時代に大学で働けるというのは、すごいチャンスですし、この幸運に感謝したいと思います。

この答申は、まだ世の中に出てきたばかりです。批判するのもよいのですが、批判するときにはどうすればもっとよくなるかを見据え、さらにそのために自分はその中でどう価値を産んでいくのか、を併せて言いたいものだと自戒を込めて思います。
自分が生きてきた時代への懐古と、新しい時代への期待は、分けて考えねばなりません。どうせやるなら、よりよいものにしていきたいです。