松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

なぜIRを研究テーマに選んだのか?

昨日の続きのようなものです。なぜIRを研究テーマに選んだのか、課題に対する個人の思いとして記述した文章を公開します。これは、大学院入試用の研究計画書を見てくださった方のうちの1人が、自分なら面接でなぜこの課題に関心があるのかを特に聞きたい、と仰ってくださったことが契機で作りました。自分なりに文章化してみることで、考えを整理できるかなと思ったのです。

ただ、どこかに文章として公開する気はなかったので、日本語が乱暴だったり、詰めが甘かったりします。面接で問われた時に答えられるように、思考のプロセスを明らかにしておく、というようなイメージで作りました。

◎課題に対して抱く個人の思い

 私が日本型IR人材の養成に関心を持った理由は、(1)大学職員として専門性獲得の必要を感じていること、(2)既存の教学支援の手法にある種の限界を覚えていること、(3)エビデンスに基づく戦略に可能性を感じたこと、の3点である。

 まず、大学職員としての専門性獲得についてである。我が国の大学職員は一般にジョブ・ローテーションによって総合職として育成されるが、この方法はある一定期間(具体的には、定年まで)組織にコミットすること、およびその組織がその期間中に破綻しないことが前提となっている。しかしながら、社会的にも組織より個人の寿命の方が長くなってきていることは自明であり、大学とて例外ではない。厳しい環境において従業員たる職員も、メンバーシップ型からジョブ型への転換が必要であり、ジョブ型の職業人になるためには、所属する組織によらない専門性が必要であり、そのことによって初めて、組織ではなく自らの都合によってキャリアを自律的に形成する力が手に入ると考えている。このとき、IRはジョブ・ローテーションの環境にあっても保持しやすい専門性の一つである。

 次に、既存の教学支援の手法に覚えるある種の限界についてである。私は平成20年に現法人に新卒で採用され、学生支援部門を経て、現在教務部門に従事している。6年間一貫して学生の支援に携わる部署であったこともあり、個別の学生の支援を最も得意としてきた。具体的には、サービスの提供者として学生を支援するのではなく、大学を構成する同じ仲間として、共に学びの空間を形作るスタイルによって教学支援の分野で一定の成果をあげてきた。しかしながら、この手法は個人の文脈に依存するだけでなく、支援できる対象(幅)の限界に常に晒される。では、従来の形式的な教学支援(履修指導等)に留まればよいのかといえば、これらはどちらかといえば守備的な業務であることから、支援できるレベル(深さ)の限界がある。こうした中、求めていたのは「ここを刺激すれば学生が伸びる」というポイントをさぐる戦略的な支援方法であり、これにはIRが有効であると感じている。  

 最後に、エビデンスに基づく戦略に感じた可能性についてである。大学行政管理学会の関東の研究グループが、平成21年以来、研究支援の分野で統計的手法に基づく戦略的な支援方法を模索していた。科学研究費助成事業の配分状況に関するデータを学術振興会のホームページから入手し、分析することで、自大学の強みは何か、現在注力すべきは論文執筆か研究費獲得か、等を戦略的に検討していた。URAの先駆的取組であり、研究IRと形容することもできる。こうした方略は研究支援のみならず、教学支援の分野でも当然有効であると感じた。

 以上3点の理由から、我が国においてそのありようが定まらないIRについて、自らが日本型IR人材の最初といっていいキャリアパスを踏み出すのだという気概を持ちながら、日本型IR人材の養成方法を明らかにし、同時に我が国の日本型IR人材の養成に寄与したいと考えている。