松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

大学の教育研究は不要不急なのではないでしょうか

標記の葛藤を,今しか書けないと思うので残しておこうと思います。
3/31に,以下の記事において,
【3/31 以降随時編集】新型コロナ禍において活性化するアカデミアの連帯と積極性 - 松宮慎治の憂鬱
次のような記述をしました。

日曜日(3/29)から月曜日(3/30)の昼にかけて,(当たり前ですが)大学の教育研究は命よりも大切なものではないな,という気がして参りました。
現状,最優先すべきは医療,行政,福祉,インフラ,物流であって,大学ではないなと。
したがって,上記のように「いかにして授業をやるか」を考えていたのは,自分の職業上のバイアスかもしれません。

5月に入った今,早い大学は非対面(オンライン)授業を4月末から開始しており,そうでない大学はGW明けからの開始に向けて,必死に準備しているところだと思います。
自分もその例外ではありません。3月末に記載した「職業上のバイアス」は,そのとおりに現実のものとして展開されたわけです。
しかしわたしは今はじめて,自分のこの仕事が,社会に役立っているかわからない,むしろのちに批判されるかもしれないと感じています。
なぜか。高等教育は,義務教育ではないからです。一方,義務教育は,まともな再開のめどが経っていないからです。
今回の危機は社会システム全体の危機なので,教育というサブシステムも危機的な状況に陥るのは当然です。
そうしたときに,教育という枠組みにおいて優先されるべきは,高等教育でしょうか?
わたしはそうは思いません。優先されるべきは,明らかに義務教育です。
普通の公立の小中学校に,非対面(オンライン)授業に耐えうるインフラはありません。
もしも大学だけが,非対面(オンライン)授業で学生が学習を完遂し,他方で義務教育が捨て置かれたら,どうなるでしょうか。
大学は,他の教育段階に比べて初めから整備されていたインフラを使って,学費収入のために,自己中心的に事業を継続しようとしただけではないか,という批判を免れないのではないでしょうか?
そして,3月末に,多くの企業や経営者が活動を自粛し,医療,行政,福祉,インフラ,物流を優先し,医療崩壊を避けようというさなかに,一生懸命,事業の継続のために出勤しているのは,果たして妥当でしょうか。
こうした批判に応える術が,今の自分にはありません。
それゆえ,自分が今一生懸命にならざるをえない仕事が,社会の役には立たず,未来において批判されるかもしれないという葛藤を抱えています。
就職してから初めてのことです。