松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。sanjyuumatsu@gmail.com

大学の教育研究は不要不急なのではないでしょうか

標記の葛藤を,今しか書けないと思うので残しておこうと思います。
3/31に,以下の記事において,
【3/31 以降随時編集】新型コロナ禍において活性化するアカデミアの連帯と積極性 - 松宮慎治の憂鬱
次のような記述をしました。

日曜日(3/29)から月曜日(3/30)の昼にかけて,(当たり前ですが)大学の教育研究は命よりも大切なものではないな,という気がして参りました。
現状,最優先すべきは医療,行政,福祉,インフラ,物流であって,大学ではないなと。
したがって,上記のように「いかにして授業をやるか」を考えていたのは,自分の職業上のバイアスかもしれません。

5月に入った今,早い大学は非対面(オンライン)授業を4月末から開始しており,そうでない大学はGW明けからの開始に向けて,必死に準備しているところだと思います。
自分もその例外ではありません。3月末に記載した「職業上のバイアス」は,そのとおりに現実のものとして展開されたわけです。
しかしわたしは今はじめて,自分のこの仕事が,社会に役立っているかわからない,むしろのちに批判されるかもしれないと感じています。
なぜか。高等教育は,義務教育ではないからです。一方,義務教育は,まともな再開のめどが経っていないからです。
今回の危機は社会システム全体の危機なので,教育というサブシステムも危機的な状況に陥るのは当然です。
そうしたときに,教育という枠組みにおいて優先されるべきは,高等教育でしょうか?
わたしはそうは思いません。優先されるべきは,明らかに義務教育です。
普通の公立の小中学校に,非対面(オンライン)授業に耐えうるインフラはありません。
もしも大学だけが,非対面(オンライン)授業で学生が学習を完遂し,他方で義務教育が捨て置かれたら,どうなるでしょうか。
大学は,他の教育段階に比べて初めから整備されていたインフラを使って,学費収入のために,自己中心的に事業を継続しようとしただけではないか,という批判を免れないのではないでしょうか?
そして,3月末に,多くの企業や経営者が活動を自粛し,医療,行政,福祉,インフラ,物流を優先し,医療崩壊を避けようというさなかに,一生懸命,事業の継続のために出勤しているのは,果たして妥当でしょうか。
こうした批判に応える術が,今の自分にはありません。
それゆえ,自分が今一生懸命にならざるをえない仕事が,社会の役には立たず,未来において批判されるかもしれないという葛藤を抱えています。
就職してから初めてのことです。