松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。

「たたき台」を作る人は一番えらいが……

先般,以下の記事がTwitterでバズっており,大学の事務職員間でも話題となりました。
note.com
記事の要旨は,
・いわゆる「たたき台」の作成は,ゼロからイチを生成する仕事である
・これが一番大変なので,敬意を払わないといけない
・このことを自覚せず,出てきた「たたき台」をただ叩くだけの人が多い
というものでした。

この事例を大学事務職員の業界にあてはめてみますと,次のようなことが言えそうです。
・「たたき台」を作る人と作らない人がいる
・作る人の中には,自ら能動的に作る人と,役割に規定されて受動的に作る人がいる
・作らない人の中には,作る能力はあるが作らない(作りたくない)人と,作る能力がなく作らない(作れない)人がいる

「たたき台」を作る人が一番えらいというのは,個人的にも同意します。
大学事務職員は,何らかの意思決定を行う際に,多くの場合教員と協働することになります。
このとき,「たたき台」の作成は,必ずしも事務職員である必要はありません。
むしろ,「それは教員が決めることだ」というお題目のもと,教員が「たたき台」を作ることもあります。
それ自体は,責められるべきことではないと考えています。
誰が「たたき台」を作るべきか,というのは,上記のように能力や,仕事の範囲,分担の方法等によって変わってくるからです。

私がなりたくないと思っているのは,教員が作った「たたき台」にダメ出しをする事務職員です。
まさに,冒頭の記事における「たたき台」をただ叩くだけの人,のことです。
ダメ出しをするくらいその対象への知見があるならば,初めから自分が「たたき台」を作るか,一緒に作成に携わればよいだけのことです。
他人にダメ出しをすることは気持ちいいかもしれませんが,長い目で見て信頼を失います。

一方,事務職員が「たたき台」を作った場合,「ほめてほしい」と思っていると,しんどいかもしれません。
ふつうは,大学において事務職員は縁の下の力持ちであって,前面に出て賞賛される存在ではないからです。
ひょっとすると,せっかく作った「たたき台」が叩かれるだけ叩かれて,「もう二度と作るまい」と思うこともあるでしょう。
そこがひとつ踏ん張りどころになるような気がします。「叩かれてもいいや,仕事が進むなら」という合理的な諦念が必要になります。
そして,この記事を読んでくださった大学教員の方がおいででしたら,事務職員が作ってきた「たたき台」を叩く前に,まずそのこと自体に敬意をもっていただくと,仕事がうまく回るかもしれません,とお伝えしたいところです。