松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「たたき台」を作る人は一番えらいが……

先般,以下の記事がTwitterでバズっており,大学の事務職員間でも話題となりました。
note.com
記事の要旨は,
・いわゆる「たたき台」の作成は,ゼロからイチを生成する仕事である
・これが一番大変なので,敬意を払わないといけない
・このことを自覚せず,出てきた「たたき台」をただ叩くだけの人が多い
というものでした。

この事例を大学事務職員の業界にあてはめてみますと,次のようなことが言えそうです。
・「たたき台」を作る人と作らない人がいる
・作る人の中には,自ら能動的に作る人と,役割に規定されて受動的に作る人がいる
・作らない人の中には,作る能力はあるが作らない(作りたくない)人と,作る能力がなく作らない(作れない)人がいる

「たたき台」を作る人が一番えらいというのは,個人的にも同意します。
大学事務職員は,何らかの意思決定を行う際に,多くの場合教員と協働することになります。
このとき,「たたき台」の作成は,必ずしも事務職員である必要はありません。
むしろ,「それは教員が決めることだ」というお題目のもと,教員が「たたき台」を作ることもあります。
それ自体は,責められるべきことではないと考えています。
誰が「たたき台」を作るべきか,というのは,上記のように能力や,仕事の範囲,分担の方法等によって変わってくるからです。

私がなりたくないと思っているのは,教員が作った「たたき台」にダメ出しをする事務職員です。
まさに,冒頭の記事における「たたき台」をただ叩くだけの人,のことです。
ダメ出しをするくらいその対象への知見があるならば,初めから自分が「たたき台」を作るか,一緒に作成に携わればよいだけのことです。
他人にダメ出しをすることは気持ちいいかもしれませんが,長い目で見て信頼を失います。

一方,事務職員が「たたき台」を作った場合,「ほめてほしい」と思っていると,しんどいかもしれません。
ふつうは,大学において事務職員は縁の下の力持ちであって,前面に出て賞賛される存在ではないからです。
ひょっとすると,せっかく作った「たたき台」が叩かれるだけ叩かれて,「もう二度と作るまい」と思うこともあるでしょう。
そこがひとつ踏ん張りどころになるような気がします。「叩かれてもいいや,仕事が進むなら」という合理的な諦念が必要になります。
そして,この記事を読んでくださった大学教員の方がおいででしたら,事務職員が作ってきた「たたき台」を叩く前に,まずそのこと自体に敬意をもっていただくと,仕事がうまく回るかもしれません,とお伝えしたいところです。