松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。

「ハラスメントのない職場」というあり得ない仮定

「ハラスメントのない職場」なんてあり得ない

「ハラスメントのない職場」という言葉を耳にすることがある。
それはポスターのキャッチコピーであるときもあれば,宴会における素朴な感情であるときもある。
ここでは「職場」としたが,「世界」や「学校」「会社」など,なんでもよい。
が,現実的にはハラスメントがない,などということはありえない。
このようなあり得ない仮定を持ち出す方に,悪気がないことはわかっている。
悪気どころかむしろ,情熱的に理想をもって語っていることすらある。
しかしながら,そうであるからこそかかる言説の罪は重い。
「ハラスメントのない職場」など幻想に過ぎないからである。
目指すべき終着点であり,「そうなったらいいね」という状態ではあるかもしれないが,実際にそうなることはないだろう。

あり得ない仮定が引き起こす問題

なぜ罪が重いのかといえば,「ハラスメントのない職場」というスローガンは,ハラスメントがないという理想的な状態に対して,むしろマイナスに作用する可能性があるからである。
わかりやすい別の例として,いじめがある。
内田(2019)によれば,都道府県教育委員会によるいじめの認知件数を調査すると,「いじめゼロ」をスローガンとする自治体では件数が少なくなる一方,「いじめ見逃しゼロ」をスローガンとする自治体では件数が多くなるという。
内田の問題提起は,どちらの自治体もいじめ対策に積極的に取り組んでいるが,さて,このどちらが望ましい状態なのか,ということにあり,あり得ない仮定にもとづくスローガンが,いじめを容易に覆い隠してしまうことを鋭く指摘している。
ただでさえ,いじめや自殺,犯罪のようなネガティブなデータは,統計的には真の値と統計結果との誤差(暗数)が大きくなりがちである。
それゆえ,本当にハラスメントを減らしていきたいのならば,「ハラスメントのない職場」ではなく,「ハラスメントを見逃さない職場」というスローガンを掲げるべきであろう。
この結果として,ハラスメント相談窓口におけるハラスメントの認知件数は急激に増加するかもしれないが,それは実は望ましいことである。
逆に,認知件数が少ないからといって,ハラスメントが少ない職場であるとは言えない。
仮に認知件数がゼロとなれば,それはむしろ異常な状態であって,ハラスメントが溢れかえっているにもかかわらず,そのことが完全に覆い隠されたヤバい職場であると考えることができよう。