松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。

【メモと紹介】小林信一(2019)「グランドデザイン答申をどう読むか」『IDE 現代の高等教育』No.609, pp.37-42.

標題の論稿において,近年の"政策誘導"に関してきわめてわかりやすい記述があったので,メモを兼ねてご紹介したい(pp.38-9)。

 この事例((引用者注:前段において,高等教育の無償化対象校の選定要件(外部理事と実務家教員の登用)が挙げられている。)は,答申が掲げる「規制から誘導へ」の意味を如実に表している。2005年の将来像答申は,「高等教育計画の策定と各種規制」の時代から,「将来像の提示と政策誘導」の時代への転換を謳ったが,今回の答申でも「その方向性は変わらない」としている。前述のような動きをみれば,A事業の支援を受けるためには制約条件Bを満たすことを前提とするといった政策手法が"誘導"の一例だとわかる。Bを直裁に規制として示さない代わりに,Aを通じてBを実現すべく誘導するというわけだ。この手法は,多目的計画法という数学的手法を考えれば理解しやすい。複数の目的があるとき,目的同士は相互の制約条件としても働く。この場合,目的と制約条件は入れ替え可能で,本来の目的を制約条件として実現することも可能だ。すなわち,本来の目的はBであるのに,あたかもAを目的としているかのように見せかけ,AもBも実現するというわけだ。
 一つの政策で複数の目的を達成する"効率的"な政策手段だと言って誤魔化すべきではない。こうした政策誘導の最大の問題は,表向きの目的Aに関しては熟考され,説明もされるが,隠された目的Bについてはその意義や必要性はもちろん,実現の方法についても熟考されないか,されていたとしても隠蔽され,透明性に欠ける点にある。この種の政策手法が濫用されると,審議会等の公明正大で真摯な議論とは関係なく,恣意的に政策が展開される可能性が出てくる。極言すると,審議会を隠れ蓑にして,それとは関係のない政策を恣意的に進めること,いわば政策の私物化も可能になる。各大学は隠された目的については十分な情報を持ちえないから,文科省の政策に振り回され,混乱に陥ることになる。

もっとも重要なのは,「目的と制約条件は入れ替え可能で,本来の目的を制約条件として実現することも可能」という点であろう。
政策が示す目的のために制約条件があるという矢印は,実は向きが逆である可能性を捨てきれない,ある目的のために制約条件を課すという手法にはそうした問題がある,ということを端的に指摘している。
とはいえ,「文科省の政策に振り回され」という点に関しては,実のところ文科省自身も振り回されているというのがより混迷を深めている背景ではないだろうか。
ここから先は小林先生の論稿を離れての感想であるが,事実がどうかはさておき,個人的には,外部理事や実務家教員の登用を,文科省が積極的に推進したいと考えているとは思われない。たとえば実務家教員の定義を曖昧にしておいて大学のマイナスを多少なり抑えつつ,それと引き換えに無償化予算を引き出しているといった可能性も考えられよう。
むろん,だからといって根拠なき政策立案が許されることはないが,特定のアクターを悪玉にして批判するのは苦しいと感じる昨今である。