松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

論稿が出ました:「『グランドデザイン答申』を読む」『関西教職教育研究 』第3号,pp.46-51.

昨年度現所属の大学を退職された今西幸蔵先生が,組織された関西教職教育研究会の発行です.
ほぼエッセイ的な内容ですが,ご入用でしたら冊子お送りしますのでご用命ください.
要旨は以下のとおりです.

 『学士課程答申』と『グランドデザイン答申』を比較することで,後者の論点を素描した。まず,『グランドデザイン答申』そのものをレビューし,①実務家教員と高等教育負担軽減の紐づけ②大学の連携・統合の促進に着目できるとした。この両者は『グランドデザイン答申』で初めて描かれた未来像では決してなく,むしろ部分的には準備が開始されていることから,実践と並行ないし後追いしていることを述べた。次に,「学位プログラム」とコストの2つの視点が,『学士課程答申』と『グランドデザイン答申』でどのように引き継がれ,ないし変化したかを検討した。「学位プログラム」の考え方はかなり縮小されていること,またコストについては,なぜ高等教育に支援が必要かという理念的根拠が失われ,大学の自助努力を促す記述に変遷していることを示した。


なお,分析からの含意には以下のようなことを書いています.

 以上の分析からは,次のような3点の含意が得られる。第1に,『グランドデザイン答申』は『学士課程答申』に比べて,マクロレベルの記述が意識されていながらも,その実,特定の取組みについてはきわめて具体的である。この理由は,実践が答申に先行ないし並行していることに求められる。答申本来の役割に立ち返れば,ある程度先駆的な取組みを参照することがあるにしても,事実上既に実行されていることの,事後的な正当性担保のためと思われかねない記述は避けられた方が良い。第2に,「学位プログラム」の考え方がどのような形で現在結実しているのか(あるいはしていないのか)は,日本の高等教育の改善にとって必要不可欠な問いである。この問いを等閑視したまま,「グランドデザイン」を描くことは困難である。ありうる回答は,①既に一定程度制度化されている,②まだ制度化されておらず,今後も充実が必要,③考え方そのものを転換した,のいずれかであり,『グランドデザイン答申』はそのいずれにも十分なレベルで言及していない。第3に,コストの問題は,高等教育の正の外部効果と併せて論じられるべきである。すなわち,高等教育への投資は,進学した当人に限らず,社会全体に還元されるという意味で効率が良いのである。したがって,『グランドデザイン答申』のように,進学する者だけを念頭におくのではなく,『学士課程答申』がそうであるように,進学しない者との関係を理念的に整理し,コストとベネフィットを議論する必要があるだろう。