松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。

佐藤俊樹(1996)『ノイマンの夢・近代の欲望:情報化社会を解体する』(講談社選書メチエ)を読了

つい先日,以下のような技術革新を話題にしてしまったばかりであるが,
shinnji28.hatenablog.com
本書はそうした技術革新(「情報化社会」)が単なる幻想=「近代産業社会がその内部にはらんでしまう夢」(p.220)であることを喝破したものである.
「情報化社会」にはなんでもあるように見えるし,なんでもないように見える.なぜならそれは空虚な記号に過ぎないからだ,というのである.
本書の基本的な考え方は,「情報化社会」の在り方を決めるのは社会であって,技術ではないということにある.
だから,「情報化社会」は夢に過ぎず,我々はまだ近代産業社会の延長に生きているのだよ,という主張を行う.
この点について,読み進める中で,「それって,相互作用なんじゃないの?技術がプッシュ要因になることもあるんじゃないの?」という違和感が隠せなかった.
しかしながら,そのような疑問にも次のような言葉で回答を示している(p.221).

情報技術とかかわりあう社会の方でも変化は起きている。もちろん、それは情報技術が起こした変化ではないが、情報技術と社会のかかわりの地平そのものを動かしつつある点では、やはり情報技術と深く関連している。その運動の先に、二十一世紀の社会と情報技術の実像も見えてくる。

本書の出版が20年以上も前であることを忘れてはならない.
この文章の後段に,やはりインターネットの記述があり,インターネットでは必ず実名であり,匿名での発言は批判されるとある.
この記述は一見未来を外しているかのようだが,それは2,000年代中盤の地平に立った場合のことである.
インターネットにおける情報開示の優位性は,実名(90年代)→匿名(2000年代)→実名(2010年代)と変遷しており,今またフェイクニュース等によって,その匿名性が問われようとしている.
佐藤俊樹から見て現在がまだ近代産業社会の延長なのか,それとも部分的に,変わり続ける社会の中で「変わり方自体」(p.221)が変わって,情報化社会に足を踏み入れつつあるのか,興味は尽きない*1

*1:個人的には,変化の内実が連続的なスピードから非連続性に遷移してきたと思っていて,これが「情報化社会」の一端と言えやしないだろうかと考えている.