松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

中村高康(2018)『暴走する能力主義:教育と現代社会の病理』(ちくま新書)を読了

少し前のことになるが,標記の本を読了した。
本書を貫くテーマは,常に反省的に問い直されるという性質を初めから内包しているという,「メリトクラシー再帰性」であり,与えられる命題は次の5点である(pp.47-48.)。

命題1 いかなる抽象的能力も、厳密には測定することができない 【2章】
命題2 地位達成や教育選抜において問題化する能力は社会的に構成される 【3章】
命題3 メリトクラシーは反省的に常に問い直され,批判される性質をはじめから持っている(メリトクラシー再帰性) 【4章】
命題4 後期近代ではメリトクラシー再帰性はこれまで以上に高まる 【5章】
命題5 現代社会における「新しい能力」をめぐる論議は、メリトクラシー再帰性の高まりを示す現象である 【5章】

著者は,メリトクラシー再帰性の高まりの要因を,高学歴化に伴い学校歴そのものに再帰性が立ち上がってきたことと,情報化の2つに求めている。
前者は,たとえるなら,前近代は「無学校」時代→前期近代は「学校」の時代→後期近代は「学校批判」の時代,という変化である(p.213)。
そして人々は,「新しい能力が必要だ」という議論それ自体を渇望してゆく。

最近,いわゆるインフルエンサーが「これからの時代,大学に行くくらいならオンラインサロンに入った方が学ぶことが多い」というコメントをして物議をかもしたが,このような議論はまさに「学校批判」の時代のメリトクラシー再帰性として捉えることができるだろう。
すなわち,本書の枠組みを借りれば,「これからの時代,大学に行くなんて意味ない」というイメージそのものが,世間からは望まれていると言えよう。

暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)