松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。

「まずは本務を」論の難しさ

以下の記事を拝読した。
photon28.hatenadiary.jp
この手の話題は半ば食傷気味でもあるのだが,いい機会なので自分の考えをまとめておきたい。

「本務ができている状態」は明確に定義できない

上記の記事は非常に示唆的で,本文中に答えめいたものがある。
具体的には,

本務がきちんとこなせているなら各個人が好きにすればいい話で、他者からとやかく言われる話ではないと思っているのだが、とにかく何かやっている人を叩く場面をよく見かける。

という一方で,

①成果が見えにくく ②学んだり研究したり、発信した内容を実践の中でどう活かすかがわかりにくいために、研究や情報発信をすることが良くないこととして受け止められやすい

というのである。
すなわち,「本務がきちんとこなせているなら各個人が好きにすればいい話」であるのだが,その半面,実は「きちんとこなせている」状態は見えにくいということになる。
仮にそうだとしたときに,「きちんとこなせている」状態の評価は正確にできないので,研究や情報発信をしたい人は,原理的にはいつまでもスタートラインに立てないことになる。

「仕事ができる」「できない」はイメージの問題

ことほどさように,「仕事ができる」「できない」論ほど信用できないものはなく,それらは基本的に他者のイメージによって構成される。
実際のその仕事ができるか,できないかは正確に推定できないので,「できると思われている」ことが重要になる。
「できると思われている」状態を形作るコツには,
(1)教員から信頼されている
(2)学生から信頼されている
(3)学内の実力者から評価されている
(4)学外のマーケットで評価されている
といったものがある。
上記のようなコツをクリアされてなお,「あいつは仕事ができない」とはかなり言いにくい。
ただの嫉妬になってしまうからである。

ダメな人はいます!それでも……

はっきり言うと,(自分のことは棚に上げさせてもらうが)自分のように大学院に行って研究とかをしつつ,仕事が全然ダメな人はいると思う。
ていうか,いる。たとえ職場が一緒でなくても,仕事なり,プロジェクトなりを一緒にやってみれば,実はすぐにわかる。
ただ,そういう人は研究もできない,ないし事実上していない。だから,なんにせよ,いろんな角度から,わかる。
情報発信でも同じ。しょせんは人間の体は一つなので,多少の得意不得意はあるにせよ,何事もクオリティはおおむね均質になるというのが自身の見立てである。。
しかし!それでもなお,「まずは本務を」のような圧力はかけない方が良いと考えている。
なぜなら,そのような圧力があることによって,繊細な人は気にして,遠慮するからである。
空気による圧力の結果,優秀な人ほどたくさんの(ネガティブなことも含めた)情報を収集し,前向きな行動をとらず,逆に優秀でない人ほど情報を集めないので前向きな行動をとる,というおかしな場が生まれてしまう。
こういう問題を,「逆選択」と呼んだりする。
www.sbbit.jp
よって,そりゃあダメな人も混じるかもしれないけど,それは業界が引き受けるコストであると割り切って,変な圧力をかけずに,したいことを応援してあげる支援的な雰囲気が大事なんではないかと思うわけである。