松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

カール・ノイマン(小笠原道雄・坂越正樹監訳)(2005)『大学教育の改革と教育学』(東信堂)を読了。

標記の本を読了した。
第1章では,フンボルト理念とイノベーション圧力の葛藤が描かれており,これを克服しうるものとしての生涯教育や継続教育が提示されている。
具体例と示されているのは,ルーティーン組織から切り離されたプロジェクトグループである。
また,イノベーションと大学の間には,役に立つ自己資本の獲得と主体的な意味創出というパラドクスが避けられないことが説明される。
第2章では,教授法の原理とプログラムが解説されており,教授職には学問体系と教育体系の双方からのアプローチが求められることが説明される。
第3章では,専門知識の応用や人格発展を目指した「鍵的能力」について解説されたのち,ドイツのブラウンシュヴァイク工科大学の個別プログラム(オムニバス講義)が紹介される。
第4章では,陶冶概念を幼児期の教育学の過程で捕捉し直している。
幼児期の教育学では,主体としての子どもに理性をもたらすプロセスが陶冶概念とされる。
つまり,陶冶というのは,改善の余地ある非理性的集団としての子どもを啓蒙するという側面をもつという。
その上で,近年の研究では,陶冶を形成される(大人が子どもの陶冶を見守る)だけでなく,子どもが自ら形成する美的陶冶が論じられることを紹介する。
第5章では,アイデンティティ概念の変遷と,学校制度との二律背反がもたらす単純化モデルの批判を行っている。
特に,前者が複雑な主体である一方,後者は操作可能な学習目標の設定と不可分であることから,両者の相克が生じるというのである。
第6章では,学校と時間の関連について,時間規律と機械化にあって,省察時間が不足していることを述べる
最終章では,ナチズムを中心に軍隊教育学と最新科学的教育の関連を語る。
本書ではタイトルに「大学教育」が掲げられているが,イメージとしては大学教育をダイレクトに捉えるのではなく,大学教育に組み込まれている(しかし,隠れがちな)重要な要素を解説していく構成になっていたように思う。

大学教育の改革と教育学

大学教育の改革と教育学