松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

凡夫未満の自分がコトをなすにはどうすればよいのか

そもそも,自分は生来凡夫未満の人間でした。
たとえば,小3で九九が満足に言えませんでした。
そこから,両親が心配して強制的に勉強をさせられる毎日が始まりました。
具体的には,教師である父の宿題が毎日出て,それに答える日々でした。
このような生活をしているので,勉強はどんどんできるようになりました。
しかしその実態は,人より先に学習を進めているだけのことでした。
自分の力のなさは,自分が一番よくわかっていました。
このような生活も,中3で限界を迎えました。
というより,中2くらいから既に限界は来ていました。
なぜならぼくは,父の宿題を真面目にせず,こっそり答えを丸写していたからです。
そして中3の夏,管理への反逆から,「以後勉強は自分でやる」という宣言をしました。
ではそれ以来,果たしてぼくは勉強を一生懸命したでしょうか?
もちろん否です。
凡夫未満の人間である自分が,自ら学ぶという高尚な行動がとれようはずもありません。
今まで指示されたとおりのことをやってきた人間が,突然主体的に頑張りだすはずもありません。

このような過去の経験から,「自分はまだ一度も学問に本気でコミットしたことがない」という負い目を持っていた気がします。
これが,勉強が嫌いであったにもかかわらず,「働きながら大学院に通う」ことに興味をもった理由です。
そして,凡夫未満の人間がコトをなそうと思ったら,次の2つを徹底的にやるしかありません。

①コスト(お金と時間)をかけること

②「平凡な幸せ」的生活を極力捨てること

お金と時間はこの世界では常に等価です。
なので,いずれも「どう使うか」が重要になります。
現在,広島に通う交通費/宿泊費でおよそ月10万円を使っています*1
これに授業料,入学金を加えると修士の2年間で380万円程を使ったことになり,その上で博士後期に進学して半年経ったのが今です。
「お金があるからできるのだ」と揶揄されることもありますが,十分条件と必要条件を区別する必要があります。
広島まで毎週通う → お金がある が成り立ったとしても,その逆も常に成り立つとは限りません。
ぼくは旅行にも行かないし、基本的にほとんど遊んでいません(本当は遊びたいし,休みたいという気持ちはあります)。
また,勉強時間の確保のために,仕事のある平日は昼食をとっていません。
最悪昼食をとっても,食べながら本を読んでいます。
昼休みは仕事をして早く帰るか,勉強をするかは悩ましいところです。
でも,朝晩は勉強です。
食事は一日一食です。
食べたら眠くて集中できなくなるからです。
自分でもやりすぎかもしれないと思うことがあります。
しかし,そこは生来凡夫未満の人間。
半分狂気を帯びるくらいでないとコトはなせないと思っています。

先日,引っ越しをしました。
そのついでに,洗濯機,テレビ,冷蔵庫を捨てました。
財布も捨てました。
また,この4月から家の掃除は外注しています*2
時間を節約するためです。
このような話をすると,「ミニマリストですか?」と半笑いで聞かれることがあります。
うまく説明できないのですが,ミニマリストとは少し違う気がします。
自分のなすべきことに集中するため。
本当に大切なことだけに注力できるようにするため。
そのためにそぎ落とさないと,凡夫未満の自分にはすべてを背負うことはできません。
外形的,物質的なモノはだいぶ捨てました。
これからは,得てきた成功体験,学習,価値観等,内面を捨てていく時期だと考えているところです。

*1:ここについては,少し再考しています。というのも,移動時間の無駄としんどさを解消できないからです。広島の先生にお会いするのは楽しいのですが……。

*2:共働きの方には,本当におすすめです。