松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

トッド・ローズ著・小坂恵理訳『平均思考は捨てなさい―出る杭を伸ばす個の科学』(早川書房)を読了

標記の本を読了した。
読み終わって思うことは,タイトルの「思考」は「志向」と読み替えることもできるなあ・・ということである。
つまり,本書で取り上げられているのは,平均「思考」への批判であると同時に,「志向」への疑義でもあると思うのである。
本書では平均思考が統計的にほとんど意味をなしていないことを喝破してはいるが,さりとて一定の条件のもとでは意味があるのではないかという気持ちも捨てきれず,
そうであるならばそれは趣味とか志向の問題も入ってくるのかな,という感想をもった次第。

本書は9章構成になっている。
第1章では,天文学をルーツとして平均が発明されたことが描写されている。
具体的には,個々の天文学者の測定値にはバラつきがあるので,平均値によって真の値を正確に予測しようとしたというのである。
第2章では,個性を重視しない平均主義によって,無駄を系統的に解消しようとしたテイラーによる試みが紹介されている。
これは,かの有名なテイラーの科学的管理法による標準化である。
科学的管理法によって誕生したのが,作業はせずにプランニングに携わる"マネージャー"や"組織図"である。
科学的管理法は工場から学校を始めとした多くの社会的制度に転移され,人間のタイプ分けやランク分けが習慣化することになった。
第3章では,こうした平均思考にゆさぶりをかけた研究の発展が示される。
「集計してから分析する」のではなく,「分析してから集計する」ことによって,それまで見過ごされてきた真実がわかるという。
第4章では,第3章に引き続き,平均思考の誤謬が喝破されている。
多くの場合我々は,「できる人は何でもできる」というように,個々の能力や才能の間には高い相関があると思い込んでいる。
しかし,現実にはそうなっていない(むしろ相関は低い)ことが示されている。
第5章では,人間の特性(たとえば,おとなしいとか,熱しやすいとか)のようなものは,実はコンテクストで規定されることが述べられている。
すなわち,ある人間の行動はその個人の特性によって規定されると思われることが多いが,現実にはコンテクスト次第でまったく異なる行動をとっていることを明らかにする。
(ちなみに,このことを明らかにした研究者として日本人の正田祐一先生が挙げられている)
第6章では,人間の人生に標準的な経路など存在せず,個々のペースが本来はあることが述べられている。
標準的な経路と比べて,自分の人生はどうかと比較すること自体が,平均思考の一つとされている。
第7章では,組織より個を優先して業績が向上した企業の事例が分析されている。
第8章では,「高等教育に平均はいらない」と題して,新たな高等教育の未来が提示されている。
第9章では,機会の平等をとらえなおす視点が提起されている。従来のモデルであれば,機会はアクセスの平等であった。
これは,同じ経験に誰もがアクセスできることを目指す価値観である。
しかしこの価値観には,アクセスできるシステムの標準化と,それにアプローチする個人の機会が平均的に最大化されてしまうという欠点がある。
このため,そのシステムが個人にフィットするかどうかが評価しえない(=フィットすれば機会が生まれる,という発想が捨象されている)。

以上見てきたように,本書では平均思考(ないし志向)を批判し,あるいはその捉えなおしを提案している。
個人的に,第4章の「才能にはバラつきがある」は驚きであった。
一つひとつの能力の相関はむしろ低く,複雑な個を理解するにあたっては一次元的な思考は役に立たないと喝破されている。
ひょっとすると,「才能にはバラつきがない」という社会制度上の文脈の中で,抑圧されてしまった才能もあるのではないかと感じられた。
その一方,第8章の高等教育の章については,「書かれていることはわかるが,今一つリアリティと乖離している」というのが率直な感想である。
この章で提案されているのは,(1)ディプロマではなく,資格証明書を与える(2)成績ではなくコンピテンシーを評価する(3)教育の経路を学生に決定させる,の3つであり,
部分的には既に実行されつつあることが示されている。
「学生は教育に関してもっと多くの選択肢を持つべきで,その選択肢はひとつの大学ではなく複数の大学から提供されなければならない」(p.224)等というのは本当に賛同するのだが,これらのことを実現していくためには相応のコストがかかる。
そのコストを誰が負担するのかということになったとき,個人重視の価値観では個人が負担するということにもなりかねない。
そうなると,トッド・ローズの言いたいこととは真逆の未来が実現してしまうのではないかということが気になった。そこの兼ね合いをよく考えてみたい。

平均思考は捨てなさい

平均思考は捨てなさい