最近,自分がプレゼンを舐めすぎているなと感じていた。
つまり,ほとんど直前まで準備せず,出番の30分前くらいからどう話すか考え始めるようなことを最近はしていたからだ。
これには理由があって,学術の場だと結構,スキルに関係なく中身を評価してもらえるという安心感による。それ自体よくないことなのだけれど,そのことは非学術的な場でより先鋭化される。
最近では非学術的な場をあまり与えられておらず,再度自分の能力を見つめ直す必要性を感じていたのである。
そのこともあって本書を購入,読了した。
自分が無意識にやっていたようなことも理論づけされていて,大変面白く読んだ。
たとえば,その土地に合わせた話を冒頭にし,話す側と聞く側の溝を埋めるのは「ブリッジング効果」。
聞き手を主役に変える話法,原稿を見ない,間を置く,といったものである。
また,本書を読んでまったく自分の中にはなかった視点も得た。
それは,演説の最後に格調高い理念を示す,というものである。ただ筆者も,これは日本人には難しいと補足している。
本書ではオバマの演説を例にあげているが,最後に聖書を引用するというのは日本人にそのままあてはめることができないからだ。
では日本人はどうしているのかというと,歴史的事実やエピソードで聖書の代用をしているとのこと。
しかしそれでも聖書にはかなわないので,難しいという話である。
ここまで書いてきて思ったが,これも自分はやっているかもしれない。
意図はしていなかったが,最後に格調高いことは言いがちな気がする。
格調といっても,聖書の引用とか,歴史的エピソードの引用とかではなくて,自分の中での理念のようなもの。
たとえば,課程認定等の話題提供では,私立大学としてのプライドをもって,政策に受動的に応答するのではなく,積極的な取り組みを開発し,政策に逆輸入するという気概をもちたい,とか。
あるいは,京都の大学職員フォーラムで話題提供を行ったときは,冒頭で京都の私立高校出身であることを伏線として,最後にその母校にあったフランスの詩人の石碑を引用する,とか。
とはいえ,無意識にやるというのはやはり微妙で,ある程度言葉で理論づけられて,わかった上でやった方がいい気がした。
しかしそうすると,自分のプレゼンが言葉に規定されてしまって,余白のようなものがなくなってしまうな,という疑問ももった。
本書の購読では,このようなことを考える機会となった。
- 作者: 佐藤綾子
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/12/16
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