松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

寺沢拓敬著『「日本人と英語」の社会学―な​ぜ英語教育論は誤解だらけなのか」(研究社​)を読了

標記の本を読了した。つらつらと感想をば。

本書では,世の中でまことしやかに信じられている言説,たとえば「日本人は英語下手」とか,「女性は英語好き」であるといったものに対して,データ分析にもとづいて批判的考察を加えている。
「日本人は英語下手」であれば,たしかに日本人の英語力は平均的には低いのは事実であるものの,実は東アジアや南欧と同レベルであることや,「女性は英語好き」であれば,意欲の点では男性と比べて顕著な傾向ではないことなどが実証されている。
本書は2つの点で勉強になった。
1つは,一般的に世の中でよく言われていること,あるいは,所与のものとされがちな近年の政策動向について,批判的な視点を加えるというアプローチの重要性であり,その面白さである。
自分は英語教育や英語をめぐる言説について,そんなにたくさんの興味があるわけではないが,「日本人は英語下手」「女性は英語好き」といった言説は,素人でも「たしかにあるある」と思えるレベルのものである。
その際,まずはその「よく言われていること」を定義によって同定したのち,批判を加えていることが重要であると思われる。
なぜなら,素人でも「たしかにあるある」と思えるレベルのことは,普段なんとなくそう感じている,みたいな話で,曖昧だからである。
それを定義づけしたのち,データによって批判されると,納得感が深まる。
もう1つは,データに基づいた実証である。
全てが2次分析であり,筆者自らが収集したデータはない。それでも,ここまでの検証が可能ということがわかる。
やはり,使うことのできるデータは2次利用する(さらにいえば,2次利用を前提に調査が行われる)ことが,時間的・金銭的コストを節約するのに大切であると実感した。
加えて,本書は統計のわからない人への配慮がなされており,私のような素人でも統計分析の過程がよくわかる。

日本人と英語に関していえば,やはり「英語が必要だ!」と言えば都合の良い勢力が多いと思われるため,このような批判的知見はおもしろい。
また,やや飛躍するが,本書を拝読しながら,「大学で英語を勉強する意味ってなんだろう?」ということを考えていた。
本書の第三部では,「これからの社会人に英語は不可欠」言説が検証されている。これはまあ大学で学習させる場合によく使われる言葉であろうと思う。
結論は,仕事において英語を激しく使う人は,未だせいぜい数%であり,さらにいえば「英語ができると収入が増える」ことも有意とはいえない,効果があったしても限定的です,というものである。
また同時に,「英語の必要性は高学歴者・ホワイトカラー識者・正社員・大企業の社員で特に高くなる」とされている。
ではそうしたときに,威信の低い大学で英語を学ぶ意味ってなんだろう?
就職活動の一貫として英語力をバシバシ鍛えている大学もあると思うが,威信の低い大学で英語力を鍛える→高学歴者に対抗して大企業に就職できる,といった因果関係は成立するだろうか?
そのようなことをつらつら考えていた。

「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか

「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか