松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

学位記授与式です

今日は学位記授与式です。
去年の教育実習の事前指導でも伝えましたが、自分は2012年の6月から今の仕事をしているので、2013年入学の今の学年は、今の仕事で四年間丸々接した世代ということになります。
しかしながら、この時期になると、お祝いや感謝よりも、常に反省の気持ちが先立ちます。
つまり、自分は彼らのためにベストを尽くしたか?という疑問がどうしても拭えないのです。

2013年の5月には、現代社会学部の課程認定申請書を提出し、当該年度で認定を受けました。
翌年の5月にはグローバル・コミュニケーション学部と総合リハビリテーション学部で、翌々年の3月には栄養学部で、それぞれ同じことをしました。
2015年度からは更新講習の仕事を引き継いで、3年かけて受講者を倍々ゲームで増やすことができました。
全ての仕事で、誰でも内容がわかるようにフォルダを整理するとともに、『サルでもわかるシリーズ(マニュアル)』を整備しました。
このように、できる限り市場を圧倒するという意識のもと、目の前の仕事にベストを尽くすことで、職業人としての価値は上昇したと思います。
また普段の業務の市場価値を保つことによって、そのこと自体が大学院で学ぶ際の盾にもなってきたと思います。
普段の業務の市場価値が高ければ、あいつは頭でっかちで、目の前の仕事をしないという批判から逃げられるからです。

ただ、ぼくの言う市場価値は、たぶんこの業界で人材として売れるかどうか、ということに寄りすぎています。
売れようが売れまいが、学生の学びを支援できたかどうかが、本来は1番大切なことです。
また本当にそれができれば、本来はその仕事の市場価値が1番高くなります。
なぜなら、他のことと比べて難しいからです。
最初の課程認定を死ぬ思いでやったあとに、「果たしてこれは自分の思う仕事の本質だろうか?」という疑問を抱き、以来さまざまな取り組みをしてきました。
具体的には、学生同士が自ら学び合って、互いを高め合う環境をどのように作り、そのような機会をいかに提供するかということを考えてきました。
そのために、場を整備しました。他大学と模擬授業の他流試合もしました。今や教職課程のガイダンスは、そのほとんどを学生が担っていて、職員の出る幕はありません。
全ての取り組みについて、一度やったら翌年度は学生の方から、「今年はないのですか?」と言ってくれました。

けれども、このような学生支援は、他の業務と違って時間がかかるものです。本来は。
また、頑張ってもそう簡単に成果が出ません。その意味で、自分は逃げ続けているのかもしれません。
自分がどれだけそこに時間を費やせるか、ということが学生の成長のための重要な変数だと考えたときに、自分は必ずしもベストを尽くしてこれませんでした。
教師に本当になりたい学生が現役で合格すること、これが成果の全てであって、それなしの支援はぼくにとっては「なんちゃって」に過ぎないのです。
そういう反省をさせられるのが、毎年のこの日です。
たしかにめでたい、しかしぼくの能力、支援は不十分だった、そう言わざるを得ない1日です。