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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

学位記授与式です

今日は学位記授与式です。
去年の教育実習の事前指導でも伝えましたが、自分は2012年の6月から今の仕事をしているので、2013年入学の今の学年は、今の仕事で四年間丸々接した世代ということになります。
しかしながら、この時期になると、お祝いや感謝よりも、常に反省の気持ちが先立ちます。
つまり、自分は彼らのためにベストを尽くしたか?という疑問がどうしても拭えないのです。

2013年の5月には、現代社会学部の課程認定申請書を提出し、当該年度で認定を受けました。
翌年の5月にはグローバル・コミュニケーション学部と総合リハビリテーション学部で、翌々年の3月には栄養学部で、それぞれ同じことをしました。
2015年度からは更新講習の仕事を引き継いで、3年かけて受講者を倍々ゲームで増やすことができました。
全ての仕事で、誰でも内容がわかるようにフォルダを整理するとともに、『サルでもわかるシリーズ(マニュアル)』を整備しました。
このように、できる限り市場を圧倒するという意識のもと、目の前の仕事にベストを尽くすことで、職業人としての価値は上昇したと思います。
また普段の業務の市場価値を保つことによって、そのこと自体が大学院で学ぶ際の盾にもなってきたと思います。
普段の業務の市場価値が高ければ、あいつは頭でっかちで、目の前の仕事をしないという批判から逃げられるからです。

ただ、ぼくの言う市場価値は、たぶんこの業界で人材として売れるかどうか、ということに寄りすぎています。
売れようが売れまいが、学生の学びを支援できたかどうかが、本来は1番大切なことです。
また本当にそれができれば、本来はその仕事の市場価値が1番高くなります。
なぜなら、他のことと比べて難しいからです。
最初の課程認定を死ぬ思いでやったあとに、「果たしてこれは自分の思う仕事の本質だろうか?」という疑問を抱き、以来さまざまな取り組みをしてきました。
具体的には、学生同士が自ら学び合って、互いを高め合う環境をどのように作り、そのような機会をいかに提供するかということを考えてきました。
そのために、場を整備しました。他大学と模擬授業の他流試合もしました。今や教職課程のガイダンスは、そのほとんどを学生が担っていて、職員の出る幕はありません。
全ての取り組みについて、一度やったら翌年度は学生の方から、「今年はないのですか?」と言ってくれました。

けれども、このような学生支援は、他の業務と違って時間がかかるものです。本来は。
また、頑張ってもそう簡単に成果が出ません。その意味で、自分は逃げ続けているのかもしれません。
自分がどれだけそこに時間を費やせるか、ということが学生の成長のための重要な変数だと考えたときに、自分は必ずしもベストを尽くしてこれませんでした。
教師に本当になりたい学生が現役で合格すること、これが成果の全てであって、それなしの支援はぼくにとっては「なんちゃって」に過ぎないのです。
そういう反省をさせられるのが、毎年のこの日です。
たしかにめでたい、しかしぼくの能力、支援は不十分だった、そう言わざるを得ない1日です。