松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

大学院生とのかかわりもある

ぼくは普段学部生だけでなく、大学院生とも仕事の中でかかわりがある。
具体的には、TAの業務や学位授与に関する一連の手続き(論文の題目届提出とかそういうの)をフォローしている。
大学院生とのかかわりというのも、学部生と違って面白い。
まず、TAというのは契約上教員に準じる身分とされているくらいだし、年齢的にも彼らは完全なる大人である。
もちろん、学部生も大人扱いしているわけだけれども、四年次生に至るまでは、段階的に大人にしていくようなイメージを持っている。
しかしながら、大学院生の場合は初めてから大人扱いである。

つい先日も、TAの勤務台帳の提出手順について、こんな風に改善したいと思うがどうですか?ご意見くださいという連絡を全員にすると、幾人かが意見をくださった。
このように、扱いが大人であるということはもちろんとして、実際に大人なのである。
今急に思い出したが、入職したての頃の自分の年齢は22歳だったわけで、大学院生の方が歳上なんだな、と感じた記憶もある。

そんな次第なので、ぼくは大学院生からかなり多くのことを吸収させてもらっているし、そのことを大変ありがたく思っている。
たとえば、因子分析のレクチャーを心理の院生から受けたこともある。あのときは本当に助かった。
また、博士課程の学生については学位授与の際の公聴会を行うのだが、そこでも様々なことを面白く吸収できた。
http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2016/02/04/224057
こちらの記事でも書いたように、勤務先の大学は量的には学部生の教育が大半であるので、教職員にとって大学院生に避ける時間はそれほど多くない。
多くないが、だからといって手を抜かず、できるだけのことをと思うが、実際のところできていないことも数多い。そのことを申し訳なく思っている。

ぼくの今の職場が長くなってきたので、学部生の時代から知っている学生が修士課程を修了する、といった場面にも遭遇することが出てきた。
因子分析のレクチャーをしてくれた大学院生は、彼が学部2年次か3年次のときに、一緒に東北にボランティアに行った仲である。
そういう環境にあって思うことは、若い人の成長というのは超長期的に見ないといけない、ということである。
長い目で見てどうか、ということについて、たとえ自分が直接関与できなくても、想像力で補いながら、未来志向で触れていくことの重要性を感じている。