松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

手持ちのカード(選択肢)が増えるのはいいことばかりではない

以下の記事を拝見した。
kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらで書き散らし氏が指摘するように,手持ちのカードを増やすということは重要である。
手持ちのカードが増えるということは選択肢が増えるということで,選択肢が増えるということは自分で決められることが増える,ということだからである。
そのことに異論はない。

ところで,この種の議論はもう一つ踏み込んだ論点が存在すると思っている。
それは,

「選択肢を増やすことは,その人にとって幸せか否か」

ということである。
選択肢が増えるということは,やれることが増えるということではある。
ただ一方で,義務や責任も増すということでもある。
「手持ちのカードは増やしました。でもこのカードは自分の便益のためだけに使います」ということが,実際には難しい。
できることが増えたら,その力を周りの人や社会から「活用させてくれ」と言われるのが普通である。
そして,そういう状態にならなければ「カードが増えた」とは言えない。
しかしながら,この状態は本当に幸せなのだろうか?
ひょっとして,義務や責任をあえて背負いこむことになってしまい,しかもそれを投げ出すこともできないという隘路に追い詰められはしまいか?

実はこのような,選択肢と幸福の関係については以前から思い悩んでいるところである。
shinnji28.hatenablog.com
こちらの記事では,まさしく「学び」と自身の出身地「ジモト」を関連づけて,学びは必ずしも幸福と直結していないのではないかと述べた。
自分にも,他人から必要とされる(≒評価される)ことがそれなりの喜びであった時期はあった。
でも,最近はそうではない。結局のところ自分の生活は自分にしか責任がとれないので,自分の満足が大事ではないかと思いつつある。
では,今になって突然さまざまな責任を放棄できるかというと,それは難しい。
一度そういうトラックに入ってしまうと,「やーめた!」と言ってしまうのにはかなりの勇気がいる。
そういう自分を客観的にみていると,なんとなくハムスターが回し車の中で走り続けているサマを連想してしまうのである。