松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

好きな仕事につくのではなく、ついた仕事を好きになりたい

唐突ですが、就活の思い出話です。
ぼくが就職活動をしたのは2006-2007年にかけてで、リーマンショック前の好景気でした。
特に金融機関はすごく積極的に採用活動をしていた印象です。
そんな中、学生時代終始ものぐさに過ごしてきたぼくは、どんな仕事をしたいか等ということは皆目見当がつきませんでした。
あえていえば、「働きたくない」とだけ思っていました。
ネオニートというキーワードをご記憶の方もおいでかと思います。
できればネオニートのようになりたいと考えていました。
白樺派みたいな有産階級を羨んでいました。
しかしながら、働かずに生きることなど大富豪でもなければ不可能です。
なので、働くというのは絶対です。
そういう逡巡を経ていたった結論は、

好きな仕事につくのではなく、ついた仕事を好きになろう

というものでした。

そもそも俺、働いたことないんやから、どんな仕事をしたいかなんてわかるわけない。
そして、楽に稼げる仕事なんか存在するわけない。
だから、まず働き始めることが大事や。
仕事なんてなんでもええわ。
そういうドライな結論に至りました。
あえていえば、アルバイトで夜勤をしたときにすごく体調を崩してしまったことがあったので、昼間寝て深夜に働く仕事は無理やな、といった程度でした。
内定をもらったところが縁のあったところだ、そういう風に割り切りました。

その後、色々あって今の仕事を選びました。
今の職場からの内定の連絡は、たしかまず電話で入りました。いつ、どなたからその電話があったのか、今でもなんとなく覚えています。
なんだかんだいって、好きか嫌いかでいえば、ぼくはこの仕事好きになりました。
でも、他の仕事を選んでいたとしても、やっぱりその仕事を好きになっていたように思います。

そういう自身の経験を過大に評価してしまっているので、ぼくは入る前の動機の必要性に懐疑的です。
具体的には、「大学職員になりたい」と考えて就活する人を歓迎するかどうか、ということです。
やはり、採用権限のある方の中には、動機づけをすごく大事にされる方もいます。
でも個人的には、そこはどっちでもよくて、メンタルとか志向性のほうが大事なんじゃないかと考えています。
合う合わない、好き嫌いというのは、「合わせに行く」「好きになる」要素によって結構変動します。
それが過剰すぎるとまた別の問題を生むわけですが、まずは「合わせる」「好きになる」が、自分には合っていました。