松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

時間がない方が生産性が高く、頭もキレるという問題

体調が悪かったこととあいまって、実家で終始寝ていた。
ほぼ1週間寝続けたことになる。
そして思ったのは、働いていて時間がないときの方が、学びも遊びも生産性が高いということである。
しかも、寝てばかりいると楽かというとそうでもない。
いや、体は楽なはずなのだが、全体的に気だるいのだ。
ここ1週間はご飯を食べることと寝ることとテレビ(ほぼオリンピック)を見ること、深夜にちょっとランニングすること以外、ほとんど何もしていない。
1度だけ高校の同級生と焼肉に行ったけれど、それだけだ。
そういう生活をしていると、頭のキレが鈍ってくる。何も考えることができない。

翻って、普段はどうか?
家には寝に帰るだけ、週末は広島へ、という生活にあっては、この1週間のように思い切り寝たいと思うこともしばしばであった。
しかしながら、新幹線の中で専門書を読んだり、通勤中に英語の(主にトイックの)勉強をしたり、昼休みに英語の論文を読んだりするなどして、「短い時間で、できるだけのことを」という心持ちで過ごせていた。
多分、この寝倒した1週間と普段の生活の1日は、生産性の点からは大体イコールだろう。
かつて働き出してすぐに、学生時代の友人と「一生働かなくてすむお金があったらどうするか?」という議論をクルマの中でしていて、「俺は働かない。すぐ辞める」と言ったところ、
一方の彼は「辞める選択はない。人間がダメになりそうな気がする」と返してきて、えらいやつやなと感じたことを記憶している。
今となれば、彼の言っていたこともなんとなくわかる気がする。
別に働く、働かないはともかくとして、毎日やることがあるというのは大切なことかもしれない。

とはいえ、そのように「生産性」であるとか、「インプット、アウトプット」であるとかいったことが、それほど大切なことか?という疑問も浮かぶ。
本来、人間などクソして寝るだけの、元々それほど高尚な生き物ではないのであって、通勤途上で勉強する自分を見たときに、なにを偉そうに、立派なフリをして生きているのかと思わないでもない。
本質的には、自分はただクソして寝ていたいだけのダメ人間であって、なのにそのことをどこかで忘れてしまって、偉そうに高尚な人間であるかのように振舞っているだけなのかもしれない。
実家に帰って旧友と下らない話などをすると、普段の自分の生活があまりに現実世界と離れつつあるのではないか、といった危機感を覚えたりもするのである。