松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

大学における「ポケモンGO禁止」の愚かしさ

若干機を逸してしまったのだが,大学における「ポケモンGO禁止」の愚かしさについて記しておきたい。
この間,いくつかの大学でポケモンGOが禁止された。
matome.naver.jp
ぼくが「ポケモンGO禁止」に反対する理由は次の3点である。

①「禁止」で物事は前進しない

まず,端的には「禁止」で物事は前進しないということが挙げられる。
不安な気持ちもわからないではないが,学生の成長を促すためには,せめて具体的な想定しうる問題ケースを示し,そうならないように楽しく利用しようというメッセージを発した方がよいだろう。
このように,よくわからない新しいものが出てきたときに,とりあえず禁止することをオプトイン,とりあえず使ってみて,問題をそのつど修正することをオプトアウトという。
toyokeizai.net
ポケモンGOのリリース直後に禁止するというのは明らかにオプトインである。

②学生を子ども扱いしている

学生は,教職員が期待するレベルにしか成長しない。
これを「ピグマリオン効果」という。
単に禁止するということは,学生を子ども扱いしていることに他ならない。
このため,禁止された大学では,仮に学生がその言うことを聞いたとしても,「ルールを破った者に対する罰則を設けてくれ」といった意見が出るようになり,さらなる管理を学生の側が事後に要求するようになるだろう。
小学生であればいいと思うが,相手は大学生である。

③アリバイ仕事

何か事故等の問題があったときに,「俺たちは「禁止」していただろ」と言うことができる。
その免罪符を,禁止することによって得ることができる。
「俺たちは「禁止」していただろ」と言ったところで,その責任から逃れられるわけでは本来ない。
しかしながら,対外的な説明責任を果たさなければいけない場面では,一定の効果を発揮することもまた事実である。
このような仕事を,向き合うべき対象が本質から外れているという意味で,ぼくは「アリバイ仕事」と呼んでいる。


以上3点の理由から,大学における「ポケモンGO禁止」は愚かである,というのが自分の意見である。