読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

そもそも家って必要なん?

ほとんど自宅にいない生活をしていると、「そもそも家ってなに?」「本当に必要なん?」という気がしてくる。
「家」概念の最大の問題点は、自分に必要なものを、なぜか一箇所に集めなければいけないというところにあるだろう。
なぜ、自分に必要なものを分散させることができないのだろうか?
いや、正確にいえばできないわけではない。
ただ、現代社会でそれをやろうとすると、自宅を複数借りるような状態になって、やたらと金がかかることになってしまう。
ぼくがやりたいのは、そういうことじゃない。

そのような、いわば旧来の「家」概念を全く無視して、自分なりのベストのライフスタイルを夢想すると、「ホテル暮らし」に限りなく近いものになる。
でも、なんとなく少し違う。
具体的には次のとおりだ。
まず、部屋は自分で片付ける必要がないのがいい。帰ると部屋が綺麗になっているのが望ましい。
なぜなら部屋を掃除する時間が勿体ないから。
また頻繁に移動するので、部屋が色んなところに複数欲しい。
その場合、毎回部屋の姿形が違うとストレスになるので、できるだけ同じような形のところがいい。
では洋服や本や物はどうするか。
ベストなのは、外部のサービスに預けて、必要なときに必要なものを引き出せる状態だ。
たとえば、洋服なんて衣替えという言葉があるくらいで、季節ごとに同じ「家」の中で出し入れをすることがあるが、これほど非効率なこともない。
常にそのときに必要なものを、必要最小限持ちたい。荷物は不要。手ぶらでいたい。
もう、そのようなサービスは存在するのだろうか?

「お前は何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、そもそも銀行なんてそれに近いサービスではないか。
昔の人は本当の意味で特定の場所にお金を預けていて、そこでしか自分の預金を受け取れなかったはずだ。
それがいつしか、同じ銀行なら別の場所でも受け取れるようになり、今となっては銀行の差すら無意味になり、コンビニでいつでも引き出せるようになった。
貨幣と服や本は違うという指摘もありうるが、果たして本当にそう言い切れるか?
本質的には同じではなかろうか。

自分が夢想するようなライフスタイルも、遠くない将来大衆化して、実現可能になるだろう。
そのときは、「家」を複数持ちたい。
いや、自由に移動しながら、自分の移動した先に自動的に結果として「家」が存在する状態、と形容するのが正確だろう。
この進化を、「人間のかたつむり化」と名づけたい。
今は笑われても、「あ!これはあのときあいつが言ってたやつや!」と言ってもらえることに期待したい。