松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

そもそも家って必要なん?

ほとんど自宅にいない生活をしていると、「そもそも家ってなに?」「本当に必要なん?」という気がしてくる。
「家」概念の最大の問題点は、自分に必要なものを、なぜか一箇所に集めなければいけないというところにあるだろう。
なぜ、自分に必要なものを分散させることができないのだろうか?
いや、正確にいえばできないわけではない。
ただ、現代社会でそれをやろうとすると、自宅を複数借りるような状態になって、やたらと金がかかることになってしまう。
ぼくがやりたいのは、そういうことじゃない。

そのような、いわば旧来の「家」概念を全く無視して、自分なりのベストのライフスタイルを夢想すると、「ホテル暮らし」に限りなく近いものになる。
でも、なんとなく少し違う。
具体的には次のとおりだ。
まず、部屋は自分で片付ける必要がないのがいい。帰ると部屋が綺麗になっているのが望ましい。
なぜなら部屋を掃除する時間が勿体ないから。
また頻繁に移動するので、部屋が色んなところに複数欲しい。
その場合、毎回部屋の姿形が違うとストレスになるので、できるだけ同じような形のところがいい。
では洋服や本や物はどうするか。
ベストなのは、外部のサービスに預けて、必要なときに必要なものを引き出せる状態だ。
たとえば、洋服なんて衣替えという言葉があるくらいで、季節ごとに同じ「家」の中で出し入れをすることがあるが、これほど非効率なこともない。
常にそのときに必要なものを、必要最小限持ちたい。荷物は不要。手ぶらでいたい。
もう、そのようなサービスは存在するのだろうか?

「お前は何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、そもそも銀行なんてそれに近いサービスではないか。
昔の人は本当の意味で特定の場所にお金を預けていて、そこでしか自分の預金を受け取れなかったはずだ。
それがいつしか、同じ銀行なら別の場所でも受け取れるようになり、今となっては銀行の差すら無意味になり、コンビニでいつでも引き出せるようになった。
貨幣と服や本は違うという指摘もありうるが、果たして本当にそう言い切れるか?
本質的には同じではなかろうか。

自分が夢想するようなライフスタイルも、遠くない将来大衆化して、実現可能になるだろう。
そのときは、「家」を複数持ちたい。
いや、自由に移動しながら、自分の移動した先に自動的に結果として「家」が存在する状態、と形容するのが正確だろう。
この進化を、「人間のかたつむり化」と名づけたい。
今は笑われても、「あ!これはあのときあいつが言ってたやつや!」と言ってもらえることに期待したい。