松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

ずっとレールから外れたいと思っていた

「レールから外れたい」という思い

自分は,典型的な「レールの上を走る人生」を生きてきた。
浪人も留年もせず,小学校,中学校,高校,大学とストレートで進み,新卒で就職した。
さらにいうと3月末生まれであるために,その全ての段階でほぼ最も若い人間として過ごしてきた。
まさしく,「レールの上を(考えうる限り最速で)走る人生」であり,きわめて恵まれていたと感じている。
そうした「恵まれていた」状況にあってこのようなことを言うと叱られるかもしれないが,ずっとこのレールから外れたいと思っていた。
特にそういう思いが強くなったのは,高校生以降である。さまざまな方に迷惑をかけながら,レールを外れることを試みた。
しかしながら,結局のところ外れず,就職に至った。

今の状態は,レールから外れているのでは?

ところで,現在ぼくは勤務しながら広島大学の高等教育研究開発センターに大学院生としてご指導いただいている。
rihe.hiroshima-u.ac.jp
よく考えれば,今のこの状態は,相当レールから外れているのではないだろうか?ということに思い至った。
今は,仕事以外の部分は,体力・時間・お金の主要コストを,大学院に「全振り」している。
かつてぼくと学生時代を過ごした友人の多くは,結婚し,なんなら小さな子供を育てている世代である。
翻って,自分はどうか。
すべてのコストを仕事と大学院に費やし,ほぼ毎週神戸と広島を往復している。
この状態はふつうだろうか?
少し俯瞰して見れば,やや常軌を逸しているのではないかと考えざるをえない。
いつの間にか,結果的にレールを外れつつあるのではないか,とふと思った。

そうしたときにさらに感じるのは,レールから外れるのは,良いか悪いか全然わからないということである。
これくらい極端に仕事と大学院に「全振り」していれば,バランスよく生きるときには絶対に手に入らないものが落ちてくるかもしれない。
その一方で,私生活はほぼ切り捨てていることになる。
実は,切り捨てないように切り捨てないようにしているわけだが,それでもやはり限界がある。
これほどまでにプライベート(具体的には遊び)を切ってしまって,本当にいいのか?
以前,「もう,すべてが手に入らないことはわかっている」と仰っていた方がいた。
自分はどこかで,「まだ,すべてが手に入るかもしれない」と思っているのではないか?
そうした問いが,時々は浮かぶ。