松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

懇親会における乾杯のあいさつ

懇親会における乾杯のあいさつなんて、「ほとんどの人は聞いていないだろう」という持論がある。
なお、ここでいう懇親会というのは職場の歓送迎会のようなものではなくて、学会や勉強会など、関係者が入り乱れるカンファレンス的なものの終わりに実施されるやつを想定している。
懇親会における乾杯のあいさつなんて誰も聞いてないだろうというのは、自分が普段そうなのかと責められると辛いので、もう少し詳細に説明すると…
ぼくの場合は、あいさつがある一定の長さを超えると聞かなくなってしまう。
もちろんあいさつをされている方がよほど親しい方であれば別であるが、大抵重鎮っぽい方がされることが多いので、長くなっても平気なほど親しい間柄であることはあまりない。
懇親会のメインはその名のとおり懇親であって、あいさつではない。
したがってあいさつ等というものはさらっと済ませて、メインにスッと移行するのがスマートだと考えている。
多くの人に経験があることだと思うが、たまにえらく長いパターンのときがあって、さらに最悪なのがあいさつが1人で終わらないときなんかもあったりするのだが、まあそういうのは辛い。

ところで、このようなことを安全圏から好きに批評することと、実際にやることとの間には大きな壁がある。
昨日とある勉強会後の懇親会で、お世話になっている先生からご用命いただいて(直前すぎて慌てふためきましたが、今考えるとめちゃくちゃありがたいことです)、多分初めて乾杯のあいさつというものをやらせていただいたが、全くうまくできなかった次第である。
別に長くはならなかったと思うが、その代わり何を言っているのかわからない感じになってしまった、という自己分析をしている。
その中でも、短くキレのあるあいさつをされる方はすごい。
長くなってしまう人も、悪気があるのではなくて、いわばテンションが上がってしまって結果的に長くなるのだろう。
したがって、短くキレのあるウマいあいさつをするためには、トレーニングを重ねるしかあるまい。
普段年齢と仕事は関係ないなどと言っているが、こうしたことは結構年の功が効いてくると思う。
反省を踏まえながら、そのようなことをつらつらと考えていた。
こだわりすぎかもしれないが、やはりこういうところにもこだわっていきたい。
主催なみなさま、参加されたみなさま、おつかれさまでした&ありがとうございました。