松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

一度手に入れたものを手放すことができるか

一度手に入れたものを手放すのは難しい。
「生活水準は落とせない」なんて言葉をよく聞く。
一度手に入れたものは,ある種の執着を生むのだろう。
しかしながら,どうなるかわからない世の中,一度手に入れたものを簡単に手放すしなやかさが必要な気がする。
生活水準を簡単に上げ下げするくらいの執着のなさが必要な気がしている。

たとえば,以前2年間ほど,アウディのTTロードスターというオープンカーに乗っていたことがある。
またHONDAのVTRというバイクに7年か8年乗っていた。いずれも大好きな乗り物で,名前までつけていた。
元々は大学生のときにバイクに乗り始めて,バイクの延長でオープンカーに乗っていたのである。
ただ,今はもういずれも手放してしまった。
手放したときは,かなりさみしい思いをしたものである。
一方で,もしあの車やバイクを手放せなかったら。
後生大事に持ち続けていたら。それはそれで問題であったように思う。
車に乗るようになってから乗らなくなってしまったバイクをずっと維持していても,バイクがかわいそうである。
乗ることもなく単に維持しているだけというのは,真実そのモノのためにならない。
単純な自分の所有欲に過ぎない。
この所有欲から自由になることが大切な気がしている。

車やバイクに使っていたお金は,今はすべて広島に通う交通費・宿泊費に消えている。
その金額は月10万である。
ふつうに考えれば,「もったいない」と言われることもあるだろう。
「そのお金,もしそこに使わなかったら」と思わないではない。
海外旅行に行きまくれるかもしれないし,高価な時計も買えるかもしれない。
ただ自分は,そのお金には執着をもたないようにしている。
その10万円を「もったいない」と思ってしまったら,毎週広島に通うことなどできない。
お金のことを気にして自分の行動をセーブしてしまうことの方が,むしろ問題であると考えている。
お金はツールに過ぎない。

ここ1年,ミニマリストという言葉をよく聞く。
全面的に賛同するわけではないが,「多くのものを捨て去ったとき,本当に必要なものだけが見えてくる」という価値観には,なんとなく心惹かれるものがある。
もしかしたら,大して必要でないものを,後生大事に維持しているのではないか。
そういった執着から解放されたときに,自分は自由になるのではないか。
そのようなことを,モノを捨てながら,ここ最近感じているのである。