松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

なぜ残業がなくならないのか?―雇用調整機能としての残業―

一般的に,残業は非効率性の象徴であると考えられている。
個人であれ組織であれ,非効率な仕事の仕方や,非生産的な取組みが原因となって,残業が生まれるという。
では,非効率な仕事の仕事を改善すれば,残業は減るのだろうか?
仕事の生産性を高めれば,残業は減るのだろうか?
答えは否である。
現在の日本の(特に伝統的な大企業の)雇用の現状では,いくら努力しても残業が減ることはない。
より具体的には,強すぎる解雇規制が緩和され,正社員と非正社員という身分制度が崩壊し,職能給から職務給へ仕組みが転換されなければ,残業が減ることはない。

その理由は,正社員の残業(長時間労働)が雇用調整機能をもっているからである。
現在,主として伝統的な大企業(や,もちろん大学)では,少数の正社員と多数の非正社員が働いている。
非正社員が雇用の調整弁とみなされているのは周知の事実であるが,正社員の残業(長時間労働)も同様の機能をもっている。
雇用者側にしてみれば,解雇しにくい正社員を雇うのはきわめてリスキーであるから,できるだけ雇いたくない,最低限の人数だけでなんとかしたい,という圧力が働く。
仕事量には,季節においても時代においても変化がある。そうした中で,残業のないちょうどぴったりの人員を雇うことは困難である。
ぴったりの人員を雇うためには,仕事の多寡によって人数を増やしたり減らしたり,といったことが簡単にできる,すなわち解雇規制が緩いことが条件として必要である。
しかしながら,わが国ではそうなっていない。
よって,仕事の総量には絶対に到達しないだけの最低限の人数だけを正社員として,彼らに残業をさせる。
そうすれば,簡単にクビにできない高コスト人材を雇うリスクを避けられる。

以上の状態によって,次のような声があふれる。

うちの職場は人手不足!

さて,では人手が十分足りている職場の存在を知っているだろうか?
多くの人が,「うちの職場は,部署は人が足りていない」と言っていないだろうか。
実はそれは正しいし,どこでもそうなので,あまり言う意味がない。
メカニズムは上記のとおりである。

ではどうすればいいのかというと,組織としてどうするか,というマクロな戦略ではなく,自分個人はどうするか,というミクロな視点を考えるとよい。
社会の仕組みは個人では変えられないので,自分の足元や自分の生活だけに注力すればよい。
残業はなくならないにしても,自分だけは最大限生産性を高め,ぎりぎりまで効率的に働くことに注力するしかないのである。
人が足りないのも残業がなくならないのも,制度的条件から当然であるから,あまりそのことを声に出して「おかしい」と言ってみたところで意味がない。
現在の制度•構造では,いくら頑張っても残業を0にすることはできない。
そのように前向きに諦めるだけで,個人のストレスは減ぜられる。