SGU関連の「詐欺」が高等教育クラスタで話題であるが、やはり大切なことは、「補助金に頼らず、自分の頭で考える」ことであろう。
http://www.asahi.com/sp/articles/DA3S12329935.html
これは自身の大学院での研究テーマに深く関係している。
補助金に頼ることの本当の恐ろしさは、自分の頭で考えられなくなることにある。
補助金に頼るうち、「今度はどんな補助金をもらえるんだろう」と思うようになる。
ついには、補助金とともに与えられたものを無批判に受け入れるようになってしまう。
これを、まちづくりの専門家の木下斉氏は「補助金依存の悪循環」と呼んだ。
これはまちづくりにおける補助金依存を描いたものだが、驚くほど大学にも当てはまる。
「体に耐性ができて次第に使用量が増えていきます」という恐ろしい言葉がある。
1度もらった補助金は最初は特別なものだが、いつしか当たり前になるのかもしれない。そういう恐ろしさを、上記の絵はうまく表現している。
SGUについていえば、補助金の助成機能よりも、当該機関の威信獲得機能の方が大きく働いたことは明らかだろう。
「大学はそんなことは気にせず、主体的に戦略を選択すべきだ」と思っていたが、高校の中には「SGU合格率何%」といった具合に、宣伝に使っている学校があるらしい。
つまり、「大学はそんなことは気にせず、主体的に戦略を選択すべきだ」というのはきわめて視野の狭い考え方で、実際にはステークホルダーに影響を与えているのだから、やはり大学の威信獲得行動は、部分的には正しかったことになる。
大学に対する資金配分が競争的な方がいいのか、基盤的な方がいいのか、両者をどのように組み合わせるのか、といったことについては、先行研究においても結論が出ていない。
Twitter等を見ていると、高等教育の関係者は基盤的配分が望ましいと考えているようだが、何が正解かというのは定まっていない。
もちろん、SGUには問題があったもしれないが、政府の側も模索を重ねている状態であるに違いない。
「中の人」として、一方的に批判するのではなく、かといってもちろん迎合するのでもない。
そういった貢献をどのようにできるのか、その責任を不遜ながら感じたりもしている次第である。