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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'15広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。Twitter : sanjyuumatsu,e-mail : sanjyuumatsu@gmail.com

人材育成における「たまたま問題」

私論

http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/09/25/050000

上記の会で、登壇をお願いした中元さんが「たまたま問題」を取り上げておられた。
「たまたま問題」というのは、
「たまたまタイミングがよかったから」
「たまたまいい上司に出会ったから」
というように、偶然の要素によって人が育つ、という状態の限界をさす。
偶然の要素に頼っていたら、全体として伸びていかないというのは、感覚的にはそのとおりである。
一方、全く同じ現象に巡り合ったとしても、「運がよかった」「これはチャンスだ」と思える人と思えない人がいる。
考えるに、「自分はたまたま運がよかったのだ」というように、偶然を味方につける素質のあるやなしや、が重要なのではないか。
つまり、「たまたま問題」によってその人が伸びているのは、実は偶然ではないという仮説である。

私自身、周りの多くの人からチャンスを与えられ、支援いただいてきた。
ここ2年くらいは、自分が与えられてきたものを返したいという気持ちがあって、職場の内外にかかわらず、誰かに機会を提供することを意識してきた。
ところが、機会を提供する側になってみると、その機会に2つ返事でのってくれるケースというのは、驚くほど少ないことに気づく。
もちろん、機会の提供を押しつけがましくしたくはないし、それ自体がいいことだとも思っていない。
しかし、機会を提供する側もヒマでないので、提供されるタイミングそのものが、一度かせいぜい二度くらいしかないかもしれない、というリスクはあまり想像されていないように思う。
「たまたまタイミングがよかった」といえる人は、自分自身で機会をいいタイミングととらえただけのことである。
その機会を他方でスルーした人もいるだろう。
「たまたまいい上司に出会った」といえる人は、その出会いを自分にとって有益なものにできただけのことである。
その上司を他方で批判した人もいるだろう。

このように、「たまたま問題」は実は偶然ではなく、個人の感性に依存するのではないかと思っている。
仮にそうであるならば、そういった個人の感性はどのように養えるのか、という問いに気づく。
この答えは、まだよくわからない。
「これは違うだろうな」というのは、たとえば動機や危機感である。
やる気があるとか、このままでは職場がつぶれるかもしれないという思いとか、
そういった情念的な要素は、変動可能性が大きすぎる。
自分にとってそれは何か、ということも含めて、少し継続的に考えてみたい。