松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

仕事は最も重要なことだけに注力すべきである

これをドーナツ理論と呼んでいる。
ドーナツのように、ど真ん中を直球でぶち抜くことが重要であって、周辺のことは気にしない、ということである。
この行動をとるためには、いくつかの要素が必要となる。
まず、自分が凡人であると認めること。
優秀な人であれば、満遍なくすべてをこなすこともできるだろう。
しかし自分は凡人である。すべてを完璧にこなすことなんてできない。
だから真ん中だけを直球で射抜く。
これは、ある種の諦めである。
何事も完璧にやりたいという自意識がときとして邪魔をするが、それを排除できるかどうか。
仕事はひとつではない。
普通は複数かかえていて、その全てを完璧にやり遂げることは無理。
そういう諦観が必要である。

なぜこのように思うようになったかというと、仕事の周縁から着手した結果、最も重要など真ん中を射抜くことなく終わるケースがよくあったからである。
仕事の総量を10とすれば、どうせ成し遂げられるのは6か、よくて7くらいである(という先述の諦め)。
このとき重要なのは、その6ないし7をどこで費やしたか、ということである。
周縁の仕事で費やすのと、ど真ん中で費やすのとでは、全く成果が変わってくる。
このことから、なんらかの仕事をするときには、その仕事のど真ん中がどこか、ということを探すのに大きなコストをかけるようにしている。

では、ど真ん中と周縁はどのように区別されるのか。
個人的には、「謝ればすむ問題かどうか」と定義づけている。
謝ればすむ問題は、所詮は周縁の仕事である。
謝りたくない場合は別だが、自分が泥をかぶればすむようなことは、周縁の仕事と位置づけ、よりど真ん中に力を割くようにしている。
謝ればすむということは、取り返しがつくということである。
一方、謝ってすまないような、取り返しがつかないようなこともる。
たとえば、それは学生の人権を侵害するようなことだ。
こういったことは見えにくいので、きわめてわかりにくいが、そのわかりにくいことを隠れ蓑に、実際には、公式•非公式に結構行われていると感じる。
周縁の仕事も含めて完璧に、というのは理想ではあるが、それはこういったど真ん中を漏らさないようになって初めて考えられることである。
果たして自分はど真ん中を漏らしていないかということを考えると、今もいつでもファンなので、結局周縁の仕事を完璧にしようと思える日はこないのだと思う。


(このブログは、遅番の日の通勤途中にスマホによって20分で書かれた)