松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

柳沢なんてたいしたことない

幼い頃に母を亡くし、富山県でラーメン屋を営む父に育てられる。
富山第一高校時代にB代表(現在のオリンピック代表)に選出され、カップ戦で3得点をマークする。
その後、高校卒業時にJリーグ13チームからオファーを受け、鹿島アントラーズに入団。
背番号にはゲルト•ミュラーのようになれという願いを込められ、13番をつけられる。
その翌年には8得点で新人王となる。
フランスW杯の代表には、「ゴールへの執着心がない」として惜しくも選出されなかったが、同年22得点をマークする。
2001年の国際親善試合対イタリア戦では、稲本からのロングパスを右足ダイレクトボレーで決める、ブッフォン棒立ちのスーパーゴールを演出。
2002年の日韓W杯では中田英寿から「MVP」と称えられる活躍を見せ、翌年セリエAサンプドリアに移籍。
さらに翌年、メッシーナに移籍し、コッパイタリアでの活躍によって地元メディアに「海峡の王」と呼ばれる。
2006年に鹿島アントラーズに復帰し、開幕戦でハットトリックを見せるが、直後に骨折。
ドイツW杯への代表選出が危ぶまれたが、ジーコの信頼と奇跡の回復力で代表に選出。
直前の親善試合対ドイツ戦でアシストを決め、本大会ではFWとして2大会連続で先発出場するも、決定機にゴールを決められず失意のうちに大会を去る。
2007年、鹿島アントラーズで新主将に就任するが出場機会が乏しく、翌年京都サンガに移籍。
移籍前の最後の試合、天皇杯決勝でその年批判され続けていたブラジル人選手、ダニーロのゴールをアシストし、クラブに11個目のタイトルをもたらす。
試合終了後にスパイクをスタンドに投げ入れるパフォーマンスで鹿島のサポーターに別れを告げた。
移籍した京都サンガでは日本人最多の14得点を決め、ベストイレブンに選出。
2010年に戦力外通告を受けるが、最終戦でサポーターから「俺たちはまだサンガのヤナギが見たい」という横断幕を掲げられる。この年、J1で6人目となる100得点を達成。
京都サンガ在籍中、当時サンガU-15に所属していた岩元颯オリビエ(現ジュビロ磐田)と同じ病院に偶然入院していたため、毎日のように励ます。
2011年にベガルタ仙台に移籍し、いきなりキャプテンに指名されるが、開幕前にあの東日本大震災が起きる。
自分にも何かできることがないかと考えた柳沢は、クラブを通すことなく、個人的に自ら役所に電話し、ボランティアに従事する。
のちに、「ぼくが仙台を選んだのではなく、仙台がぼくを選んでくれた」と語る。
2014年、J1での17年連続ゴールを挙げ、契約延長のオファーを受けるも、最終節の2日前に引退を発表。
最終戦対広島戦では、公式戦なのに30分の出場時間を与えられ、試合終了後、アウェーであるにもかかわらず、両チームの選手から、彼を象徴する背番号13と同じ回数だけ胴上げされる。

そんな、所属したすべてのチームの選手やスタッフ、サポーターに愛された、どこにでもいるサッカー選手。それが柳沢敦