松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

「忙しい」とは何か

ふだん「忙しい」という言葉を口に出すのはダサいと思って避けているが,さすがに年度末と年度初めは超多忙である。
(以前は,「忙しい?」と聞かれたら「ヒマですよ」と答えていた。しかしそれはそれで問題がありそうなので,最近はどう答えていいかはかりかねている)
忙しい。
同業者のみなさんも基本的には同様であろうと思っている。

「ヒマになる」ことはもうないだろう

ところで,忙しい忙しいというが,それはいわば当たり前である。
自分が忙しくなくなること,すなわち「ヒマになる」ことは二度とないだろう。
そうなったら,それは干されたということだ。
忙しい中でも成果を出す,忙しい中でも心身の健康を保つ,忙しい中でも余裕をもつ,忙しい中でも余裕があるように見せる。
このような,忙しい状態にあることを前提とした日常の営みが必要なんだろう。
「ヒマになる」ことはもうない,と考えると,非常にイヤだし,苦しいが,仕方がない。
休みたい,バカンスがほしいと思うが,これについても忙しい中で休んだり,バカンスをとったりする能力が求められよう。
今の一番の悩みは,家事が全然できないことだ。
職場でも,広島でもなんとか体裁を保っているが,家のなかはむちゃくちゃである。
こうした生活に根付くようなところは,もうちょっと考えて改善しなければならないと考えている。

忙しさの中身が問題

加えて,忙しさの中身が問題だ。
その忙しさは,意味のある忙しさなのか。
単なる作業で忙しいのか,価値を生む仕事をしているから忙しいのか。
経験的には,後者であれば「忙しい」と感じることはほとんどない。
充実しているからだ。
「忙しい」と感じるのは,大体前者のとき。
価値に繋がらない作業,手数があれば誰でもできる仕事,これは自分の中では仕事の定義に入れていない。
単なる作業である。
作業に忙殺されていると「忙しい」と感じるようになる。
その意味で,忙しいと思うかどうか,というのは,自分が意味のある,付加価値の高い仕事ができているのかどうかを判断するバロメータになりうるともいえる。

以上のことを意識しておかないと,何事も「忙しいからできない」で済んでしまう。
忙しいかどうかは,成果や価値を生めるかどうか,という事実とあまり関係がないと思っている。
優れた人は,忙しいかどうかに関係なく価値を出す。
さらにいえば,優れた人は「忙しい」ともあまり言わない。
そういうことを自分に言い聞かせつつ頑張ろうと思う。