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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'15広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。Twitter : sanjyuumatsu,e-mail : sanjyuumatsu@gmail.com

「俺はこんな大学に来る人間じゃなかった」と考えている大学1年生へ伝えたい3つのこと―いわゆる「学歴」コンプレックスについて―

学生

自分は,神戸市の私立大学で大学職員という仕事をしている。
学生支援部門で4年,教務部門で4年を過ごした。仕事柄,さまざまな学生さんを見てきた。
そうした経験から,以前から感じていたことを伝えたい。

①入った大学がその人の実力である

「受験に失敗した」というのはよく聞く言葉である。
この理屈はおかしい。
センター試験で失敗したから?
2次試験の出題傾向が変わったから?
一般入試の英語で長文問題を読み誤ったから?
だからなんだというのか。
あなたが「失敗した」というその裏側では,「失敗していない」人もやはりいるではないか。
「失敗した」という人は,この差をどう説明するのだろう。
要するに,失敗したかどうかは結果が決めることであって,失敗したことも含めてその人の実力なのだ。
いや,わかってはいる。
本当は,こういうことをいう人も,そんな当たり前のこと,本当のことはわかっているはずだ。
それでも,「失敗した」と言いたくなってしまう。
なぜなのか。それはこういうことだ。
「俺はこんなところに来る人間じゃなかった」と表現したいだけなのだ。
「俺はお前たちとは違う」ということを主張して,自分の感情を保ちたいのだ。
それは周りにいる,これから友人になるかもしれない人に対してとても失礼なことだ。
何より,大人として情けないことだ。
一人の大人として,自分の感情を保つために,下らない言い訳をするのはやめよう。

②「学歴」は関係あるけれど…

本当は学歴というのは,学士・修士・博士という学位のレベルのことを指すのだが,日本でいう学歴は学校の名前のことで,本来は「学校歴」と呼ぶべきものだ。
しかしながら,日本では「学校歴」のことを一般に「学歴」と呼ぶので,ここではカギかっこ付でそう記す。
残念ながら,日本社会ではまだまだ「学歴」は大きく関係する。
具体的にそのことを実感するのは,就職活動のときであろう。
日本企業には,「学歴」フィルターというものが存在する。
採用サイドに,このあたりのランクの大学から何人とれ,という目標が決まっていることも多い,ということだ。
このシステムは,主としてウェブエントリーによる選考を効率的にするために維持されていると考えられる。
ただし,この「学歴」フィルターというのは,あくまで土俵に上がれるか上がれないか,という違いしか生まない。
就職活動は大学入試とは違う。何かの指標で高得点をとれば採用してもらえる,というわかりやすい世界はそこにはない。
また,「学歴」フィルターがあるのかないのか,あったとしてどのレベルなのか,というのは,業界や職種に完全に依存する。
たとえば,私の現在の仕事である教職課程,すなわち公立学校の教員採用試験において,「学歴」フィルターは存在しない。
その意味で,就職の問題を「学歴」フィルターのせいにするのはナンセンスだ。
「学歴」フィルターの要件を満たしていれば,その企業に本当に採用される力があると言えるのか?
大学入学手前までの実力を,企業がその人の実力として部分的に(しかも本当にごく一部を)代理評価することはそんなに問題なのか?
自分の実力のなさを「学歴」のせいにするくらいなら,今すぐ退学して(あるいは仮面浪人や編入学をして)よりランクの高い大学に再度入りなおすべきだ。
それができないなら,今があなたの実力であることを認めるしかない。

③勉強は一生続く。そこでやめるか,やめないか

本当の勉強は,これから始まる。
一番恥ずかしいのは,大の大人がいつまでたっても偏差値や「学歴」の話をし続けていることだ。
そうしている間にも,学ぶべきことは目の前を通り過ぎていく。
コンプレックスというのは,要するに囚われのことだと思う。
気になるということは,その現象に自分が囚われるということだ。本当はもっとすべきことがあるかもしれないのに。
「学歴」コンプレックスに囚われて,自分を諦めて,今するべき学びをスルーしてしまうことが一番恐ろしい。
そういう人は,いつまでも自分の実力のなさの大部分を「学歴」のせいにして,ときどき偏差値や「学歴」の話をしたがる。
18歳時点の偏差値や「学歴」は,OSのようなものだと考えればいい。
現時点で身に着けたOSが,今そのまま評価されるのは当然である。
でも,OSはアップデートしないと,簡単に錆びていくことも忘れてはならない。
大学に入ったとたん,就職したとたん,学ぶことを辞めてしまう大人はたくさんいる。
4年間は長い。
「俺は大学のとき全然勉強せず遊んでいた」などということをドヤ顔で言うような大人になってはいけない。


以上,「俺はこんな大学に来る人間じゃなかった」と考えている大学1年生へ伝えたい3つのことを,いわゆる「学歴」コンプレックスに絡めながら述べてきた。
「第一志望」に希望通り入れる大学生なんて,そんなにいない。みんなどこかに落ちている,いわゆる不本意入学だと思えばいい。
「俺はあの大学に行きたかった」と思うその大学も,やはり別のどこかに落ちてそこに入った人ばかりなのだ。
要するに「学歴」コンプレックスなんて自意識の問題だから,さっさと捨て去るに限る。
そうしたときに,私のような大学で働く教職員は,「ここで学べてよかった」と卒業時に言わせられる力があるのかどうか,真実試され続けているのである。