松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「社会は厳しい」は本当か?―大学生のみなさんへ―

「社会」で働く,「社会人」といった言葉が嫌いである。
それらは「会社」で働く,「会社人」である。
まるで職業を持つということが社会に生きることの条件であるような表現だから好きではない。
赤ん坊だって社会を構成しているし,リタイアしたおじいちゃんおばあちゃんも同様である。

それはさておき,「社会は厳しい」みたいなことをドヤ顔で言ってくる人が,学生の頃一定数いたのをふと思い出した。
私はもう働き始めてから8年が経とうとしているので,もはや「社会」に出きっていると言っていいだろう。
したがって,「社会は厳しい」かどうかを検証できる立場にあると思われる。
結論からいえば,社会は別に厳しくない。
学生の頃の方が厳しかった。なぜなら,今は働くだけでいいけれど,学生のときはそうではなかったからだ。
大学生だったときを思い返せば,大学にいって講義を受けることとアルバイトの両立は本当にしんどかった。
大学で働いていて感じることだが,今の学生はこれに加えてボランティアをしたりして,非常に忙しくしている。
バイト先の中には,安い賃金で搾取してこようとしたところもあった。
しかも,景気は生まれた頃からずっと悪くて,将来の展望は見えにくい。
自分は本当に就職できるのだろうか?満足に食べていけるのだろうか?
そんなことを感じながら,色々なことをやらなければならず,もちろん遊びもしたけど,全体的に不安定であった。

ところがいまはどうだ。とりあえず自分ひとりで生活ができている。
自分で生活できるということは,すべてのことを自分で意思決定できるということだ。
学生時代はそれができなかった。
親に養ってもらっているということは,生活の基盤が自分にないということであった。
だから,何事も自分ひとりでは決められなかったし,決めたとしても不安定だった。
もちろん,働いていてつらいことやしんどいこともたくさんある。
しかしながら,「学生の頃より厳しいか?」というと微妙だ。
今はとにかく仕事を頑張っていればいいので,いくつかの別次元のことを並行させなければいけなかった学生時代よりはるかに楽だ。

では,「社会は厳しい」とドヤ顔で言ってきた人たちは,なぜ,そういうことを言っていたのだろうか?
今ならなんとなくわかる。
端的にいえば,自分のイケてない人生を環境要因のせいにしたかったのだ。
俺は悪くないんだけど,社会が悪い。本来の俺はもっとイケてるんだが,社会が厳しくて。まあまだ社会に出てないお前にはわからないだろうけどな。いつかわかるさ。
要するにこういうことである。
イケてない自分を許容されたいというダサさのみならず,若い可能性をも自分と同様イケてない側へ手招きしようとする浅ましさがそこにある。
このような大人を見て,一体誰が「いいなあ」と思うだろうか。
むしろ,楽しく生き生きと,時にはのほほんとしながら,「いいなあ。早く大人になりたいなあ。働きたいなあ」と思わせるのが,イケてる大人というものである。
仮に今自分のいる「社会」が厳しいのであれば,あとを生きる人のためによりよく変える努力をすべきだ。最低限,「社会は厳しいけど,お前が社会に出るまではマシにしておいてやる」程度のことは言いたい。
したがって,「社会は厳しい」みたいなことをドヤ顔で言ってくる人の言うことを聞く必要は全くない。
ボランティアだと思って一応相槌を打つフリだけして,あとは今日の夕飯のことでも考えておくことをお勧めする。