松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

「書くこと」の原体験

「書くこと」の私の原体験は,たぶん小学生の時に遡る。
それまでも,読書はしていた。
しかしながら、「書くこと」にはそれほどの関心をもっていなかったように思う。
ところが,あるとき作文を先生に褒められ,家族に褒められしたときに,「書くこと」の面白さを知ったのである。
ただ,褒められたのには理由があった。
その少し前に,『漫画ドラえもんで学ぶ!上手な作文の書き方』的な本を読んでいたのである。
残念ながら,正確なタイトルを忘れてしまったのだが……。
要するに,そういったハウツー本を読んで,そのとおりにしたら褒められた,単純にスキルを学んだことによる成功体験だったのである。
えらいもんで,小学生くらいのときに褒められたことというのは,すごく覚えていて,その後の自信に繋がる。

このハウツー本に書いてあったことは,今でも強烈に記憶にある。
具体的には,次の2つだ。

①初めの一文が大事

作文では,初めの一文が最も大事である,ということが書いてあった。
最悪なのが,「何月何日,どこどこにいきました,その場所はこうでした,楽しかったです」的な文章であって,時系列的に書くな,ということがあった。
ではそうすればよいのか?
小学生のときにこのハウツー本から援用したのは,「会話から始める」という,テクニックである。
「おい,まじかよ!」
このような一文で始めるのである。
そうすると,冒頭から目を引くことができる,というハウツーであった。

②優等生にならない

「優等生作文」もダメ,ということが書いてあった。
つまり,文章としては崩れていなかったとしても,自分にしか言えないようなことがそこに入っているのか,ということであると理解した。
命にかかわる作品を読んで,「命は大切にしなければならないと思いました」といったことを書いたり,楽しい経験をして「とても楽しかったです」などと書いても,全然意味がないのである。
これは,今になっても生きていて,報告書を書くとき等に未だに意識している。
その人独自の意見や価値観がなければ,読む側は面白くないので。


以上が,自分の「書くこと」の原体験である。
以来,「書くこと」については,他の人よりできるのではないか,と考えてきた。
ただ,今思い返せば,それは勘違いであった。中高生の頃は,随分へたくそな文章を書いてきた。
たくさん読んでいる,ということと,文章が書けるということは,あんまり関係ないなという実感をもっている。
でも,こういった原体験があるから,このように1日1記事ブログにアップするのも,さして苦にならないという,今に繋がっていると思う。