松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

大学職員が「来年はこうしよう」と言ったときに問題となる3つのこと

新年を迎えたところで、自戒を込めて記しておきたい。
「明日やろうは馬鹿野郎」という言葉があるが、これを大学職員として、

「来年やろう」は馬鹿野郎

とアップデートしておきたい。

仕事をやっていく中で、さまざまな改善点を思いつくことがある。
そうした時に、「来年やろう」と言ったり、思ったりしてしまうことはないだろうか。
自分もそういうときが頻繁にあるが、これは非常にまずい。
「来年やろう」と言ってしまったときの問題点は、以下の3つである。

①今改善できることが同時に先延ばしされる

「来年やろう」と言うのは構わない。
ところで、「来年やろう」と今判断したそれらの事柄たち、本当にその全てを来年に回す必要があるのだろうか?
実はその中に、今年、今すぐ改善できることが含まれてはいまいか。
本当は今すぐできる改善について、今すぐやるのが面倒だから、来年にならないとできない改善点に、こっそり混ぜてしまってはいまいか。
今改善できることをも、なんとなく同時に先延ばしされてしまうことも、やはり多いように思う。

②学生に「来年」はない

もしかしたら、今年は何らかの事情でできなくて、でも来年ならできる、ということがあるかもしれない。
だが、それは年単位で物事を考えられる立場にある者の発想である。
学生にとっての1年の価値と、我々にとっての1年の価値は、必ずしもイコールではない。
その意味で、お互いの1年というのは、一回性をもっているのだ。
この1年は、もう二度とこない1年なのであり、この1回しかないのである。
この1回しかないある事業、イベント、ガイダンス、なんでもいい。
それに対する改善を来年に回すということは、今目の前で対象となっている学生は無視する、ということなのである。

③それらが実際に来年実現されることはない

最大の問題がこれである。
「来年やろう」といったときに、来年というのはすごく先の話だ。
「来年やろう」と言ってしまう人は、未来の自分を信頼しすぎている。
今「来年やろう」と思っていたとしても、来年も同じように思うかどうかはわからない。
というか、おそらく来年になったらまた新しい課題が目の前にあって、今目の前にある課題など忘れてしまっているだろう。
だから、今思いついた改善点というのは、ギリギリのところまで、「今」処理すべきである。



以上、大学職員が「来年やろう」と言ったときに問題となる3つのことを述べてきた。
述べてきたことにはあくまでも自戒を込めていて、私とて例外でない。
なぜこのような問題が生じてしまうのか?
それは、大学という場が1ヶ月や3ヶ月、半年ではなく、1年という期間で動くことが多い組織だからである。
それ自体、ダメなことではない。
しかしながら、そうした特徴に甘えて「来年やろう」の発想が板についてしまうと、上記3つの問題点を見過ごし続けることになってしまうかもしれない。