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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

チャリティーサンタ(大阪支部)のボランティアに参加してきた

昨日は仕事を休んで、チャリティーサンタというボランティアに参加していた。詳細はググッていただきたいのだが、要するに、子どもたちのご家庭にサンタが(ご家庭から預かった)プレゼントをお持ちする代わりにチャリティー金をいただき、それをまた子どもたちに還元するという、NPO法人主催のプログラムである。
仕事を休んだといっても、このために休んだわけではない。
振替休日がたまたまイブになった際に、始めは勉強しようと思っていたのだが、せっかくなので子どもを対象としたボランティアがないか探していたところ、見つかったのがこちらのプログラムだったのである。

自分はいま大学職員として働きながら、同時に大学院で高等教育を学んでいる。
最近では、えらそうに同業のみなさまの前でお話しすることも増えた。
しかも時々、依頼されてえらそうに執筆したりもしている。
そう、「えらそうに」である。
そうした中で、ときどき、自分はいつからそんなにえらくなったのか?と薄ら寒くなることが時々あった。
自分のいまの立場は、絶対的に恵まれている。
高等教育政策を語ったり、忙しいフリをして神戸と広島を毎週往復したり、しばしば霞が関に書類を出しに行ったり、交渉したり。
その全てが、ときどき薄ら寒くなることがあるのである。
お前は一体ドヤ顏で何をしているのかと。お前はいつからそんなに立派になったのかと思うときがあるのである。
お前のその立場は、さまざまな人たちの支えがあって成り立っているのであり、お前1人で価値を生んでいるわけではない。
さらにいえば、お前は元々そんなに立派な人間ではない。
さまざまな人に迷惑をかけながらこれまで生きてきたじゃないか。
そのことを自覚するという機会が、ふつうに働いていると非常に得がたいのである。
そんな感じで、実に「えらそうに」毎日を過ごしているのが今の自分である。
働き始めてから、学生でなくなってから、何かをフラットに考えるということが難しくなってきた。
自分の感性に沿って考えるというより、社会的に価値や意味があるのかどうか、という状況判断を優先させるようになった。
しかしながら、社会的な価値、社会的な意味という考え方は、やはり危険だ。それらは常に一様ではなく、自身の人生経験だけで語れるほど浅くはない。

自身の本来の感性に立ち戻るには、幼い子どもと関わることが効くような気がしている。
ふだんは読書でなんとかならないかな、と甘いことを考えているのだが、やはり実体験には代えられない。
今の仕事では、これまでにも学生さんと一緒に、時々子ども対象のボランティアに参加させていただく機会があった。
三回派遣された東日本大震災のものなどはその典型であるし、他にも何度か参加したことがある(ただし、仕事として)。
ただ、今年は、これまでそういう機会が持てなかった一年だった。
やはり、まだ何者でもない存在としての子どもたちに触れることによって、自分はそのつど「生き返って」きたのである。
そのことを、今回参加したこのボランティアで、改めて感じさせられた。
その意味で、ボランティアと言いながら自分のために参加したと言えると思う。

個人情報があるので詳細は書けないが、今回は2つのご家庭を、サンタの格好で訪問させていただいた。
うち1つのご家庭では、動画を撮影されていた。
お子さまは、まだ記憶が形成される年齢ではなかった。
おそらくこの動画は、大きくなったときにご家族で見返されるのだろう、と思いながら、(びっくりして泣かれながら)プレゼントを渡した。
「大きくなってから見返されるであろう動画」というのは、ぼくにとって十分に責任が重く、また暖かいものだった。
自分自身がそうして、撮られていたときもあったのだ。

幼い子どもは、昔から苦手だった。
高校生ぐらいのときは、「モテるのではないか?」と思って、好きでもないのに好きと言っていたが、大学生ぐらいから「嫌い、苦手」と公言してきた。
塾のアルバイトでも、小学生は本当に苦手だった。
でもいつからか、子どもと触れ合うことによって、自分の感性が本来の状態に立ち戻る感覚を覚えるようになってきた。
今回も、幼い子どもという存在が、ただそこにいるだけで素晴らしいと感じることがあった。
その延長に、初等中等教育があり、高等教育があるという事実を、やはり自分のような立場の者は、真面目に捉えなければならないと思った。
大学というのは、それ単体で存在しているのではなく、世の中のシステムの一部であり、自分はさらにその中の一部に過ぎないのである、という自覚を新たにすることができた。

このNPOがどういう団体なのか、詳しくは知らない。もしかしたら一定の批判もあるのかもしれない。そのあたりのことは正直預かり知らない。
ただ、スタッフの方々には、よい機会を与えていただいたと感謝している。
このブログは、いつもプライベートをどこまで書くべきなのか悩む。
というより、本来は書きたくない。自分のプライベートを切り売りするような感覚に陥るからである。
しかしながら、今回は自分の投稿が何かの役に立つなら、と思って電車の中でスマホで書いた。
読者層は大学関係者に限定されるかもしれないが、それでも何かのお役に立てればありがたい。