松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

「お前はthinkばかりでdoがない」

これは,高校生のときにお世話になった先生に言われた言葉である。
さらに,この前段階として,「高校生のときから変わっていない。悪い意味で」という言葉もあった。
それがちょうど,3年ほど前の話である。
以来,とにかくdoを気にしてきた。果たして自分は変われたのだろうか。
実際のところ,自分ではよくわからない。
変わったことも変わらなかったこともあるような気がする。
一方で,あまりにもdoに偏りすぎてきたのではないか,という気もする。

たしかに,自分の環境はいろいろと様変わりした。
doをすることでthinkに繋がってきたことも数多い。
しかしながら,それは本当の意味でのthinkなのだろうか,という疑問がある。
走りながら考えるといえば聞こえはいいが,自分は本質的にそうした器用なことができるタイプではなかった。
ずいぶんとさまざまな無理をして,doに注力しているのではないか。
その代わりに,捨ててきたものがずいぶんあるのはないか。
自分の価値は,おそらく大学職員としてはほぼ高止まりした。
これからも伸びるだろうが,予測の範囲内に収まり始めたことを感じている。
それが自分の中での「高止まり」の定義である。
たとえこのあと部署異動どのような仕事をしたとしても,今とまったく同じレベルの成果は,最低限出せるだろう。
予想のつかないゾーンに行けるかどうか,というのは,職業人としての価値以外のところで決まってくるように思う。
その意味で,ここ3年間は職業人としての価値を高めてきた時間であったが,少しここらで,再度考える時期に来ているかもしれない。

「何を」考えなければならないのか,ということの答えはまだない。
が,はっきりしていることは,もう少し生活を整えなければならない,ということだ。
あまりにも乱れているし,その結果として疲れている。
基本的な日々の生活というものに対する態度の厳しさを,もう少し取り戻さなければならないと思っている。