松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

大学院進学動機に潜む「学校歴」社会の末路

社会人として大学院に通っていると,わりと真面目に「学歴ロンダリングをしようという気持ちもあったのですか?」と聞かれる。

学歴ロンダリングというのは,大学院進学時に学部卒の「学校歴」(具体的には学部入試の難易度であり,より端的にいえば偏差値)を超えたところに進学することによって,自身の学歴を浄化することを指すネットスラングである(由来はご承知のとおり「マネーロンダリング」による)。
あえて学校歴をカッコ書きにしたのは,通常<学歴>というと世界的には学位の
レベル(「学士」「修士」「博士」)をさすのだが,わが国の場合は大学の名前をさす。
それはすなわち「学歴」ではなく「学校歴」である,という区別を行うためにカッコ書きにした。

また,教職課程の学生の支援を担当していると,「学歴ロンダリングをしたい」としばしば学生から言われることがある。
いや,そこまで直截ではないのだが,大体次のような口ぶりである。

神戸学院大学の名前では,教員採用試験に受からない」

「もう少しいい名前の大学を出た方が働きやすい」

こういった口ぶりである。
そのたび,これが「学校歴」社会の末路か,と思うのである。
そして,こうした学生というのは,大学院進学を学部進学と全く同様に考えている。
すなわち,

「○○大学は国立大学だから,大学院であっても入学するのは難しい」

と考えているのである。
ここでいえることは,次の2点である。
第1に,就職活動において「学校歴」が効いてくる業界があることは否定しない。というか,現実としてそうである。
それが正しいかどうかは別として,社会的には「学校歴」は未だ効いており,選考において「学校歴」によって輪切りにされ,場合によっては銘柄大学と同じ土俵上がることすらできない,ということはしばしばある。
これは,実はリクナビ等を初めとする就職ポータルサイトでは,だれもかれもが企業にとりあえずエントリーできるため,選考の上で効率性を追求するとそうせざるをえない,という事情もある。
しかしながら,公立学校の教師というのは,「学校歴」の最も関係のない業界である。
仮に選考に落ちたとしたら,それは大学の名前のせいではなく,間違いなく自分の実力のせいである(もちろん,大学の支援が足りない,という批判は受ける)。それが教員採用試験である。
第2に,学部に入学することと大学院に入学することとは,まったく別物である。
少なくとも,学部のように偏差値をモノサシにしていると大失敗をする(こういう学生は非常に多い)。
大学院は,入学するだけならどこであってもさして難しくはない。というのも,多くの大学院では定員を割っているからである。
ただ,入学することと修了することは違う。簡単に入学できても,修了できないかもしれない。
大学院進学の際に最も気にしなければならないのは,研究室であり,自身のやりたいことを研究している先生がいらっしゃるかどうか,であろう。
大学の名前は関係ない。

以上のような学生の声の背後で,「保護者の方の価値観」というものを感じることがある。
「親がそう言っている」というケースである。
保護者の方には,ご自身の時代の価値観で子どもを縛ろうとするのはやめてほしい,と伝えたい。
社会の価値観は,時代とともに変遷するのである。
社会の価値観の変遷に,自分が気づいていないだけかもしれない,という可能性を,心のどこかで持っておいてほしい。
そして,学生の可能性を変に限定しないでやってほしいのである。