松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

中身の話をしているのに突然立場の話になるという問題

特定のテーマ、つまり中身の話をしているときに、突然立場の話で返されるという問題がある。
いわく「私には判断できない」「自分の立場では…」といった言葉である。
たしかに、話の中身は立場に規定されるところがある。
特に判断を迫られる状況になると、「自身の立場上そこまではなんとも」ということになりうるだろう。

しかしながら、そういったときに、立場の問題を留保しながら、中身について話し合うことは難しいのだろうか。
率直にいえば、重要なテーマについて話し合っているときに「私には判断できない」「自分の立場では」といったことを急に言われてしまうと、

・ではなぜいまこれについてお互いに議論しているのか?
・初めから決定権のある人が出てきてくれないか?

という気持ちになる。

ただ何度も言うように、議論が深まった結果、自身の判断できない領域に言及されることはあるかもしれない。
というか、あるのはわかる。
が、そうしたときであっても、立場はひとまず脇においといて、中身の話を続けるのは難しいだろうか。
中身の議論が深まっていったときに、突然立場の話になって逃げられると、この時間は一体なんだったのか、とむなしくなってしまうのである。
言質をとろうとするような姑息なまねをしたりしないので、本質について建設的な議論がしたいと考えている。