松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

教育関係者は〈社会〉を知らないという説は妥当なのだろうか-〈一般企業〉という幻想ー

大学ではこうだけど,それは社会では~

一般企業ならこうだけど,大学では~

このような発言をしばしば聞くことがあるが,まったく意味がわからないというのが率直な感想である。
〈社会〉とは何か。
〈一般企業〉とは何か。
〈大学〉とは何か。
全て多様性をもっているので,一概に語ることなど難しいのは当然である。
こういった発言をする場合には,次にように焦点化し,整理した上で表現すべきだ。

俺の知っているx大学では~

俺が昔勤めていた●●社では~

俺の地元の△△市では~

一概に語るというのは,単純化するということである。
では,物事を単純化して語りたくなるのはなぜなのか。
それは,「その方が楽だし,面白くなるから」ではないだろうか。
実際,上記のようなことは誰もがわかっているはずで,それをあえて言ってしまうような,いちいち訂正してくるような,そういう人間はつまらないし面白くないし,もう少し空気を読んだ方がいいのである。
単純化された話は,楽だし面白い。要するに,単純化された話と言うのは居酒屋の与太話なのだ。
このため,多くの人は「まったく意味がわからない」と思っているはずなのだが,与太話を遮るのもなんだなと思ってそのままにしておくことになる。
しかしながら,「それは居酒屋の与太話としておっしゃってるんですよね」と時々確認する必要もあるような気がする。
でないと,時として居酒屋の与太話が市民権を持ち始めたかのように錯覚することもあるかもしれない。

「〈社会〉を知らない」といった大上段の物言いは,あくまでも居酒屋の与太話としてとどめておくべきものであって,ドヤ顔でまじめな話として表現してしまった瞬間に,図らずもその人自身の社会性のなさを露呈してしまう結末になるだろう。