松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

もう名刺を配るのはやめた

名刺を配るのはやめた

もう名刺を配るのはやめた。
もちろん、交換を求められれば応じるが、自分から求めに行くことは、基本的にやめた。
不遜なようだが、「求める側」ではなく「求められる側」にならねばならない。
「求められる側」になろう、と決めてから、名刺が減るペースは低下した。
当たり前である。「求める側」より「求められる側」の方が圧倒的に少ないのだから。

「自分より上のステージにいる人」と付き合うには?

その意味で、以前瀬田さんがおっしゃっていたことには異論がある。setapapa.net

自分より上のステージにいる人、自分が思い描くステージに2・3歩すでに進んでいる人。そんな人たちと付き合い、同じ時間を共有し、モデリングする。そういう成功している人たちから学ぶことが、自己成長には不可欠です。

これはたしかにひとつの考え方だ。
しかしながら、「自分より上のステージにいる人と接することによって刺激を受けたい」という人の中には、接するだけで満足してしまったり、接することで自分も同じステージにいるという錯覚に陥ったりする人もいる。
「自分より上のステージにいる人」と一緒にいるために必要なのは、その人たちと協働できるだけの力である。
「刺激を受けたい」タイプの人に、「自分より上のステージにいる人」と同等の力を備えている人はほとんどいないだろう。
このため、真の意味で彼らと同じステージにいたいなら、むしろ彼らを越えることを目指さねばならない。
ようやく、越えるかどうかというラインに来た時には、もう彼らと一緒に何かをしている状態にあるだろう。

意味あるネットワークを形成するには、「何かを一緒にやること」

名刺交換というものを始めて8年、たしかに名刺にはそれなりに意味があった。
でも、意味あるネットワークを作るには、名刺交換はほとんど意味をなさない。
逆説的だが、名刺など全く不要な関係となってはじめて、意味あるネットワークが形成される。
意味あるネットワークを形成するにはどうすればよいか。
自分なりの答えは、「何かを一緒にやること」だ。
飲み会も、ああいうのは意味あるネットワークを形成したあとの親睦としてやるから面白いのである。
そうでない飲み会は、そのほとんどが気疲れに終わる。少なくとも自分にとっては。
なので、気疲れの多い飲み会では、しばしばトイレにこもってスマホをいじっていることをここに告白したい。
「何かを一緒にやること」の「何か」とはなんだろう。
この答えは、当然一様ではないだろうが、レイブとウェンガーが提唱した「実践共同体(Community of Practice)」はヒントになるかもしれない。

実践共同体あるいは実践コミュニティとは、参与者(参加者)が、ある集団への具体的な参加を通して知識と技巧の修得が可能になる場のことであり、そのような参加者の社会的実践がくりひろげられる場でもある。

Community of Practice