松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

プレゼンテーションはスキルではない

職場から希望者に対して「プレゼンテーション・スキル研修」の参加案内がきた。
むろんこういったメニューを提供してくださる所属を批判する意図はないが、プレゼンテーションはスキルではない。
たしかに、外形的なスキルというものは存在する。
たとえば、見た目。
TPOに合わせた清潔感ある服装が必要であるのは当然のこととして、どういう色合いのネクタイをするのか、といった細かいことは場の雰囲気に影響する。
あるいは、話し方。
必ずしも流暢に話す必要はなく、むしろ朴訥としていた方がいいが、「えー」「あー」等の言葉を繰り返すクセはNG。
などなど。

しかし、そんなことはあくまでも外形であって、本質ではない。
よいプレゼンとはなんだろうか。
自分なりの定義を述べると、「受け手」と「話し手」が限りなく1:1の関係に近づいている状態、であると言える。
プレゼンの場というのは、大抵「話し手」の1に対して、多くの「受け手」がいる。
学校の1クラスであれば「話し手」の1に対して、「受け手」は40だろう。
大規模な講演会であれば、「話し手」の1に対して「受け手」は200かもしれない。
この「話し手」と「受け手」の関係が、実相にかかわらず1:1の関係に限りなく近い状態にある、ことがよいプレゼンの条件であると思っている。
これは素晴らしいプレゼンを「受け手」としてたくさん観察しながら気づいて、自分なりになんとなく定義づけたことだ。
素晴らしいプレゼンをする人というのは、たとえこちら側、すなわち「受け手」が何十人だろうと、何百人だろうと、「まるで自分ひとりに語りかけてくるような」状態にもっていくのである。
つまらないプレゼンには、そういうある種の高揚感や、心を動かされる感じというのがない。
心を動かされるというのは、必ずしもプラスの方向であるとは限らない。マイナスかもしれない。
でもとにかく、心がフラットな状態からどこかに動くということが必要で、そうした現象が起きているときには、「受け手」はあたかも「話し手」が自分ひとりに語りかけているような気分にさせられている。

つまり、プレゼンテーションはスキルではない。コミュニケーションなのである。