松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

プレゼンテーションはスキルではない

職場から希望者に対して「プレゼンテーション・スキル研修」の参加案内がきた。
むろんこういったメニューを提供してくださる所属を批判する意図はないが、プレゼンテーションはスキルではない。
たしかに、外形的なスキルというものは存在する。
たとえば、見た目。
TPOに合わせた清潔感ある服装が必要であるのは当然のこととして、どういう色合いのネクタイをするのか、といった細かいことは場の雰囲気に影響する。
あるいは、話し方。
必ずしも流暢に話す必要はなく、むしろ朴訥としていた方がいいが、「えー」「あー」等の言葉を繰り返すクセはNG。
などなど。

しかし、そんなことはあくまでも外形であって、本質ではない。
よいプレゼンとはなんだろうか。
自分なりの定義を述べると、「受け手」と「話し手」が限りなく1:1の関係に近づいている状態、であると言える。
プレゼンの場というのは、大抵「話し手」の1に対して、多くの「受け手」がいる。
学校の1クラスであれば「話し手」の1に対して、「受け手」は40だろう。
大規模な講演会であれば、「話し手」の1に対して「受け手」は200かもしれない。
この「話し手」と「受け手」の関係が、実相にかかわらず1:1の関係に限りなく近い状態にある、ことがよいプレゼンの条件であると思っている。
これは素晴らしいプレゼンを「受け手」としてたくさん観察しながら気づいて、自分なりになんとなく定義づけたことだ。
素晴らしいプレゼンをする人というのは、たとえこちら側、すなわち「受け手」が何十人だろうと、何百人だろうと、「まるで自分ひとりに語りかけてくるような」状態にもっていくのである。
つまらないプレゼンには、そういうある種の高揚感や、心を動かされる感じというのがない。
心を動かされるというのは、必ずしもプラスの方向であるとは限らない。マイナスかもしれない。
でもとにかく、心がフラットな状態からどこかに動くということが必要で、そうした現象が起きているときには、「受け手」はあたかも「話し手」が自分ひとりに語りかけているような気分にさせられている。

つまり、プレゼンテーションはスキルではない。コミュニケーションなのである。