私はもはや自分が組織に育ててもらおうとは全く思っておりません。
それは期待していないということでは決してなくて、そういったことを組織に要求するのはお角違いになりつつあるんじゃないかなあと考えているのです。
思っているのは次のようなことです。
自分は勝手に育って絶対的な力をつけます。組織は、そんな自分をうまく利用してください。ただし、私は待遇よりも「裁量の大きさ」を好みますので、できるだけ私の居心地いい状態をキープしてください。
このような考え方は傲慢じゃないかと思われるかもしれませんが、絶対的な力もないのにこのようなことを考えていると干されるだけですので、こういった考えを保持することは、自分の力がどの程度のものなのかを測るバロメータにもなります。
干されたら力がなかっただけのこと、逆に力があればどれほど傲慢でも干せないはず。
かつては「組織に育ててもらう」感覚ももっていました。
いわく、「組織が個人に投資するのは当たり前である」といった感覚や、「うちの組織は人の育て方が~云々」といった話であります。
しかしながら、もう個人が組織に「育ててもらう」のは無理ではないでしょうか。
寿命が組織よりも個人の方が長い時代。組織が個人の一生に責任を持てる時代はとうの昔に終わっているわけで。
そんな中、「うちの組織はこういう点でおかしい!」なんて言ってみても、組織から見れば「そんなこと言われても…」という感じになりはせんでしょうか。
先日、id:samidaretaroさんが次のようなブログを書かれていました。kakichirashi.hatenadiary.jp
「組織の目標達成のために個人の力の一部分を貸すという姿勢が健全」
上記の箇所がものすごく腹落ちする点です。
私は大学の名のもとにさまざまな力を発揮する。大学は私の力を利用してどんどん良くなる。
組織が個人の力を利用し、一方では個人は組織の力を利用するこういった概念を、私は「組織と個人の共犯関係」と呼んでいます。
あたかも組織が親で個人が子、であるかのように、片方が片方の面倒を一方的に見る時代はもう終わってしまって、互いに力をもち、等価なものを交換するという関係が始まっていると。
個人であっても組織とイーブンに対話し、互いに利用しあう関係は、依存をもたらさないのでそれなりに健全ではないかと考えています。
※なお、この「組織と個人の共犯関係」という言葉のヒントは、2、3年前に読んだ佐々木俊尚さんの著書『レイヤー化する世界』から得ました。
レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/06/05
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (28件) を見る