松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

自分のメディアを持つことの価値

ブログをはじめて1年になろうかというタイミングで、自分のメディアを持つことの価値というものを感じ始めています。

「自分のメディアを持つことの価値」をとても大切にしていたのが、中田英寿です。
彼はまだインターネットがそれほど発達していない時代に、自身のウェブサイトを立ちあげ、その中で自分のメッセージを発信していました。
学生の頃は、一流の選手が直接発信するメッセージというのがまだそんなになくて、熱心に読んでいた時期もありました。
彼がなぜそういうことを始めたのか、その理由は基本的にマスコミとの関係性にあるでしょう。
マスコミを通した自分の姿ではなく、自分の姿を直接ファンに知ってもらいたい、さまざまなトラブルから、そういうことを考えるようになったのだろうと思います。
全然レベルは違ったとしても、これは一般の職業人にもあてはまるのではないか、ということをここ最近思っています。
仮にですが、職場の内外で十分コミュニケーションをとったことがある、という方、その人数はどれくらいでしょうか。
大してしゃべったこともなく、飲み会でご一緒したこともないのに、人の噂をそのまま丸のみして、「あの人はこういう人だ」と思いこんではいないでしょうか。
じゅうぶんなコミュニケーションをとれる範囲、というのは、普通にやれば実は限られます。
でもブログのような個人メディアは違います。
ここで自分の思っていること、考えていること、その一端を見せることで、「あの人はこういう人だと思っていたが、実はこうなのではないか」と感じてもらうことができます。

「文は人なり」というくらいで、文章というのはなかなか人間をごまかせません。
自分もずいぶん品性のない文章を書いてしまうな、という反省をもっているところですが、そういった自分もまた自分である、という感じで開き直ってこれからも続けたいと思います。。