松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

「若手・中堅」とは何なのか?

※本記事に批判の意図はありません。

かけた時間に依拠した枠組みへの問題意識

以前、高等教育研究会からの依頼を受けて、「未来のわからなさを楽しむために―「大学冬の時代」論への異議―」という文章を『大学職員ジャーナル』に投稿したことがある。shinnji28.hatenablog.com
この中で、以下のような問題意識を部分的に述べた。

若手・中堅・ベテランといった、時間軸によって切り分けられた階層で職業人を論じることには以前から疑問を持っている。大学職員の組織は年功序列の色が濃いからか、特にそうした傾向が顕著であると感じている。大学職員を会員の中心とする大学行政管理学会でも、近年「若手や中堅をどう育成するか」といったテーマが論じられることが増えてきた。しかしながら、こうしたテーマは時間を経れば仕事が熟達していくという枠組みに依拠する考え方であり、あくまでも変化が連続的であった時代にしか適用できない価値観であるように思う*1。非連続な変化の時代では、若手よりも中堅、中堅よりもベテランが優れた価値を生むとは限らない。その仕事にどのくらい従事してきたかといった時間の蓄積の多寡よりもむしろ、成功体験や昨日までの自分をあっさり捨てるといった個人的な態度や性格、持っている素養が生み出す価値に直結するようになるだろう。

上記にあるように、ここ1年の間、特に大学行政管理学会の各地区で「若手・中堅」を対象とする勉強会的なものが増えた。
これに貢献したのは自身も所属する大学改革研究会という、「若手」中心でやってきた組織であることは間違いない。
彼ら・彼女らが若手でなくなってくることと相まって、「中堅」という新たしいゾーンが付与され、「うちの地区にもそういうのが欲しい」といった広がりを見せつつある。
また、JUAMだけでなく、自身の勤務先においてもこういった枠組みの根強さは強く感じる。
私のような立場だと「中堅層が頑張っている」と評価されるし、新卒の頃には35歳までの「若手」職員を対象としたオフィシャルな勉強会(最終的に管理職にプレゼンを行う)があったりもした。
その意味で、こういった年齢に依拠した枠組みというのは自身との関係も深い。

生みだす価値に時間は関係ない

しかし、しかしである。
「若手・中堅」とは一体何なのだろうか。
自身がそういった考え方にタッチしてきたからこそ感じる問題意識であるかもしれない。
あるいは、以前から若さばかりが評価の対象になって、本質を見られていないという悔しさを感じてきたことにも影響があるかもしれない。
一言でいって、こうした価値観は自分には馴染みにくい。仕事で生む価値と時間は全く関係ないというのが自身の考えである。
経験を積めば積むほどいいというのは、おそらく大学業界ではごく当たり前のことしてとらえられている。
ところが、そこには「経験年数があれば、その分できるはずだ」という強い仮定が存在しているのである。
たとえば人事異動なんかにおける、「松宮は学生支援で4年、教務で3年の経験があるから、そろそろ管理部門へ…」なんていう発想がまさにそれである。
でも、生みだした価値は時間では測れない。
松宮が教務にいた3年間は時間で測られるべきものではなく、「その3年間でどれだけの一歩を踏み出し、価値を生んだか」で評価されるべきものである。
仮に全然一歩を踏み出してなかったら、それは価値を生んでいないのであって、ただ座っていただけということに過ぎない。
「経験年数があれば、その分できるはずだ」という強い仮定は、人によって成り立つ程度が異なるのである。そういった不安定な指標は本来あまり信頼できないはずである。

これからは、さらに関係なくなる

さらにいえば、時間と熟達の関係性については、これからもどんどんなくなっていくと思う。
もちろん、これは予測に過ぎないのだが、現在、もしくはこれから求められるのは、基本的に既存の価値観を疑い、ときに否定しながら、新たな何かを生成していくことだと考えている。
そうしたときに、重ねてきた時間や経験というのは逆に邪魔をしてくることがある。
「以前はこうだったんだ!」「これはこうあるべきなんだ!」という観念が強すぎると、新たな何かを生成する場にはおそらく参画できない。
このため、ここ最近の自分のテーマは、「これまでの成功体験をいかに捨てるか」ということである。
成功体験を捨てるのは本当に難しい。ともすればそれにすがってしまう。
いかにこれまでの成功をなかったことにし、新たなことを学び、刺激を受けられるかが勝負であると思っている。

*1:もちろん、加齢による経験の蓄積が持つ価値を否定するものではない。